給与明細で私は救われなかったという話

入社するまで

さて、私は大学を無事に留年して、(おっと)、

何とか卒業したのち無事就職したのだが、

新卒で入社した会社はかなりきつい業界だった。

中小の不動産の会社に就職した。

それまで飲食業界でずっと、

集客や人を呼ぶ、営業するということを

恒常的に行ってきたのだが、

正直な話、飲食のバックなんてたかが知れていた。

お水の世界でも、キャバクラなら別だが、

クラブやラウンジなど、店が女の子を守る代わりに

店の売り上げを保ちたい場所では、

みなさんが思うほどは稼げない。

それと比較すると、不動産業界というのは、

もちろん会社にもよるが、

バックが最もわかりやすく、

知識とツテがあれば

女の武器も使う必要はなく、

かつバックも高値で得られる場所である、

ということは就活の面接の

アピールでも大いに活用したぜ、

ということだけは言っておきたい。

覚悟の新卒

「投資用のワンルームマンションを買いませんか?」

という営業電話を受けたことがある人は、

今読んでいる人の中にどれぐらいいるだろうか。

まさに私は毎日毎日朝から晩まで、

あの電話をかけ続けていた。

大手でない不動産会社に営業でこれから入る予定の方、

あと保険のセールスをするとか、

証券マンになるという方は心して読んでほしいのだが、

「自分はメンタル弱いな」とか「打たれ弱いな」と

一度でも思ったことがあるならば、

最初から1年間とか、

半年スパンの短い区切りで

必ずタイムリミットを決めておくことだ。

できれば「この場所で何を得たいか」

という自分なりの目標があると、

後になって、必要以上に

迷うことに時間を費やさずに済む。

一生ものの知識や技術を学ぶことは、

この業界では十分にできる。そのかわり、

大きな会社でない場所で一生やり続けるには、

政治家や芸能人以上のメンタルのタフさが必要になる。

特に証券、不動産、外資の保険の営業は

入れ替わりがかなり激しい。

数字を追いかけるというのは

どの会社でも生きるか死ぬかの戦争である。

私も入社してから毎日、

通勤電車の中で涙をこらえたり

吐き気と戦いながら出社していた。

ちなみに誤解のないように言っておくが、

私は今でもその不動産会社に入ったことを

全く後悔していない。

むしろあの会社でラッキーだったと思っている。

学べたことは山のようにあったし、

基本的にみんないい人たちばかりだった。

そして今でも、もし私に高い社会的信用と

お金を貸してくれる銀行があるなら、

正直ワンルームどころか

ビルだって買いたいぐらいである。

ただ、もう一回営業をやれ、

と言われても絶対にやらない自信がある。

何億積まれてもやらない。

そのぐらい心に受けるダメージはでかい職業だった。

少し話すが、

日本では「投資」や「不労所得」というのは

マイナスイメージの歴史を引きずったままなので

詐欺だとか怪しいという風

にみなす人間がまだまだ多い。

でもお金を「殖やす」ことを

知っている人は、実はみんなやっている。

今更マンションを売っても

私にバックはつかないので多くは説明しないが、

正しく知って、物件を選び、正しくやると、

実際その辺の適当な保険に入るよりも

100倍メリットがある。

やっている人がやってます!

と声を高らかに言わないのは、

日本の中での一般認知度の低さと、

プライバシーの考え方、

おいしい話は教えないわよ精神があるためだ。

営業電話の闇

まあそんなこんなで、

毎日電話をかけてはアポを取るべく、

私は頑張って営業をかけていた。

ちなみに言っておくが、

営業電話に対する一般の人の冷たさは、

皆さんの想像を絶するものだ。

人格否定やセクハラや罵詈雑言や、

上からアドバイス目線を装ったモラハラ、

特にねちっこい男からのものは凄まじかった。

私が女だからというのは大きかっただろうが、

ガチャ切りとか「ブス!」とか「死ね」

とか言われるのは全然マシな方で、

日頃のストレスのはけ口に使うためなのか、

いつまでたっても電話を切らずに

君が生まれてきたこと自体間違っているとか、

親は悲しんでるとか、人間性がおかしいとか、

君はかわいそうな人で、どうしようもないとか、

本当に私をサンドバッグのように

ボロクソに言ってくる男が星の数いた。

(ちなみに、切らないでいるだけでも脈がある、

とみなすので、社内でこちらから電話を切る、

ということは「負け」を意味していた。

こちらから切ったりしようものなら

上司にぶち殺されるのである)

そんなクソみたいな奴らが私よりいい服を着て、

会社でそれなりのポジションについていたり、

妻や子供がいて偉そうな顔をしているんだろうな、

と考えると本当に腹が立って、

私は毎日怒っていたし、悲しんでいた。

アポインターの苦悩

ところで、私はメンタル面ではちっとも

向いていなかったのに、

なぜか電話はめちゃくちゃ上手かった。

私はいわゆる「アポインター」であった。

もちろんノルマに追いかけられる

ということもあるが、

やっている中で何よりつらかったのは、

アポイントを取っても、

ちっとも契約につながらなかったということだった。

私は楽しく電話をするのは上手かったし、

この子に会ってみたいなと思わせることは

おそらくできていたのだろうが、

まさかそこで皆、

「将来のマネープランを一緒に考えましょうや」

と言われてなんかでかい上司の男もついてくる、

とはみんな夢にも思わない。笑

一人で交渉したことも何度もあったが、

ちっとも申込なんて取れず、

私の上司もそういう「薄いアポ」

で決めてこいと部長から言われるプレッシャー

と毎日戦っていた。

部下を持つのも初めての上司であったので、

正直大変だったろうと思う。

必殺ワタミ出勤

さて以前に一度、私は本気で根詰めてやります、

と決意して、約2か月ほど毎日労働基準法を

ガン無視して出勤しまくったことがある。

マジで休みの日も、部長にお願いして、

上司と毎日出勤して電話を打っていた。

上司も私を一生懸命育てようと、

一緒に苦しんでいた。

休み無しでやれば結果が出る、

なんてことは100%無いのだが、

その時にできる最大限の努力が

「時間を全部使う」

ということだったのである。

とにかく休まないで毎日会社に行った。

電話を打った。

それしか努力のベクトルはなかった。

部長はそんな我々を気遣って、

他のチームも呼んで、会社にピザを取って

軽くパーティーをやったり、

わかる人にはわかるのだが、

とにかく「つらくて苦しい」から

「楽しくて勢いがある」ものに

変えようとしてくれていた。

ただ結果的に、その努力からアポイントは

たくさん出たが、契約が出る、

ということはなかった。

結果が出るとき

結果を意図的に出すぐらいにまで、

レベルを上げるのは、

普通の人間は、ちゃんと時間がかかる。

私は、そこまで行く前に辞めてしまった、

ので、そこまでで結果が出たのは、

毎回思わぬところでだった。

結果が出て、一番に反映されるのは、

歩合である。お給料だ。

タイトルはちょっと盛っているが、

ひと月に契約が重なり、

給与明細がほぼ100万円になったことがある。

正直その時にその人間が

「続くか続かないか」が決まるんじゃないかと思う。

私は、「心の底から嬉しい!」とは

すこしも思えなかった。

最初から最後まで自分一人でやった訳じゃない、

交渉などはほぼ上司だったし、

良かった、と思っても、

日々営業の苦しみは際限なく続いていたからだ。

たまたま決まったあの契約にこんなにお金が

付くのは不条理で、

それよりも、日々苦しみながら電話している、

その電話の一本一本に手当てがついてほしい、

とその時に思った。

あと税金とりすぎじゃね?

高所得者ってめちゃくちゃ損するじゃん、

かわいそうに、とも思った。笑

辞めたくなるまで

さて、そんなこんなで、

ストレスというのは確実に人の心を蝕んでいく。

結果が出ない時期に突入したり、

上司と衝突したり、

いろいろなことがうまくいかなくなって、

それでも少し回復して、

上司が変わって環境が変わって、

それでも心の闇は消えなくて、

という終わりのないデスレースの感覚は

ずっと続いていた。

もはや吐き気を通り越して、

ぼーっと電車に乗って通勤して、

最寄りの駅に着いたある朝。

駅のホームに足を踏み入れて、

動けなくなった。

以前から体中に重たい鉛のような空気が

まとわりついているような感覚は

ずーっとあったが、その朝に関しては、

ちょっと別格だった。

私は、気づいたら泣いていたらしい。

号泣ではなくて、ボーっとしながら

だらだらと涙を流していた。

いつもより悪い感じだ、やばい、先輩に連絡を、

と思ってケータイを取り出すのだが、

今度は体が震えだしていうことを聞かない。

駅員さんに不審がられて声をかけられたが、

大丈夫です、体調が悪いだけで、

と言って断った。

少しずつ体を動かして、

何とかして改札の手前まで来たが、

今度は改札への階段が全く登れない。

時間をかけようかな、とホームを徘徊

するが、そのあとどうしても改札から出られない。

とりあえず、先輩に報告して、

ホームの人目につかない場所にうずくまって、

しばらくボーっとしていたが、

気づいたら、私は反対方向の電車に乗っていた。

とりあえず今日はもう捨てた、という感覚、

わかる人もいるであろうが、

本質に目を向け始めて、自分がやばい

状態になっていることに気付いたのか、

私は今日だけ休もう、今日だけという

絆創膏ぐらい薄っぺらい処置で今日を乗り切る

覚悟をしたのである。

結果、その後、

会社に行けたのは一週間後だった。

周りは腫れ物にさわるような、という訳でもなく

(そんなことはザラにあって、むしろ「飛ぶ」

奴もいっぱいいるような環境なので、逆に

よく戻ったね、笑、ぐらいのもんである)

私はまたヌルッと仕事に戻った訳であるが、

やはり、仕事を変えなきゃもうこのループからは

抜けられない、いつ辞めるか決めよう、

という決意はこの時にしっかりした。

社宅を引越し、転職サイトにも登録して、

つなぎでバイトをするために夜の店を探し始め、

上司にはきちんと話をした。

上にも書いたが、みんないい人たちだった。

私が使えるコマでも、使えないコマでも、

大事にしてくれたし、親身になってくれたと思う。

最後には

やはり、どれだけ辛くても、

お金で救われる人も、

お金では救われない人もいる。

私はこの後、この時の分の住民税や色々な

支払いに追われ、マジで貧乏時代に突入するのだが、

それでも戻りたいと思ったことは

一度たりともなかった。

自分にとって何が大事なのか、

皆さんもそこで迷わずに生きられる時間が

より長くなるよう参考にしていただけたら

幸いである。

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