かわいい至上主義
皆さん誰しも一度は
口にしたことがあるのではないだろうか、
「かわいいー!」という言葉を。
某CMによって
「かわいいは、作れる!」
という名言が飛び出したこともある。
さて、みなさんは色々なネタの場や、
SNSなどで『かわいいというものには種類がある』
という文を読んだことがあるかもしれない。
女が犬とかに向かって
「かわいいー!!」とか言うのは、
かわいいって言いたいだけだとか
(ハライチ岩井風)、
かわいいー!!って言っている
自分を可愛いと思っているだとか(岩井風)、
これから来る子どんな子?って聞いて
「かわいい子だよ」って女が答えた時、
大抵はかわいくない子だとか(岩井風)、
世の中に通説としてはびこっている
「かわいい」の色々な俗説はあげればキリがない。
今回「かわいい」という言葉一つとっても、
あまりに色々な要素が含まれすぎていて、
一語で研究対象にすらなってしまうので、
ここでは『人間の美醜』にまつわる
「かわいい」の話に限定することにする。
共通性と唯一性
さて、皆さんは
「世界に一つだけの花」という曲をご存知だろうか。
byマッキー
___ナンバーワンにならなくてもいい
もともと特別なオンリーワン
いい歌詞である。
しかし、女が美醜の土俵に立たされた時、
2つの欲望が迫ってくる。
『ナンバーワンにもなりたいし、
オンリーワンにもなりたい』
これは名曲ね
というクソほどわがままな欲望である。
「このクラスでは〇〇が一番かわいい」
「いや△△の方が可愛いだろ」
といった昨今のアイドル文化に代表されるような、
顔面偏差値の順位を伴う評価がある一方で、
「安室ちゃんほんとにかわいい!」
「安室ちゃんにしか出せないよね、あんな可愛さー」
という年齢や偏差値などの土俵を超えた、
唯一無二の評価を得る人間も存在するのである。
不思議な現象だとは思わないだろうか?
くどいようだが、
『1番』かわいい、ということは、
甲乙がつけられるものであり、
ランキングをつけられるものなのである。
要は、
顔以外の価値なんて
皆同じなので顔で決着つけましょうや、
ということであり、
それに対して安室ちゃんのような女性達は、
独自の圧倒的カリスマ性、
そして唯一性で我々を魅了していて、
すでに彼女達の絶対的な価値を持っているので
不思議なことに、
顔だけで他と比較するという対象には
決してならないのである。
私個人的に、
どちらの「かわいい」の考え方も正しく、
両者は共存しているものだと考えている。
そこで、であるが、私が取り上げたいのは、
そういう2つのタイプがあるよ~♡
などという生ぬるいご紹介ではない。
我々女が生きる世界では、
どちらの可愛さを重視すべきかの見極め
というのは非常に難しいということを言いたいのだ。
優越感と虚無
AKB48が出てきた頃、
「クラスで可愛い方の女子の寄せ集め」
とよく言われたものである。
どんぐりの背比べ、とは言いつつも、
「この空間の中では私が一番かわいい」
という一種の優越感、
これは非常に気持ちいいものである。
一体世の中のどれくらいの女性が
この優越感を抱いたことがあるだろうか。
たとえそれがどんなにチンケな空間でも人は嬉しがる。
正直そんなことで天狗になってる時点で
死ぬほどレベルは低いというか、
一回賢者タイムに考えてみろよ、
情けなくなるから、マジで虚無だぞ、
と自他共に言い聞かせたくなるのであるが、
まあ人というのは浅はかな生きもんである。
フォローして言うならば、
鶏口となるも牛後となるなかれである。
男性もこの感覚を持つものかどうかはわからないが、
テストでクラス1位をとったり、
スポーツで地区1位をとる優越感に似たものがある。
全国レベルではないけど、みんな
こいつがこのテリトリー内では1位だな、
という認識があることはわかってる、
みたいなやつだ。
おそらくみんなが口にするかしないか、
という違いぐらいではなかろうか。
私もクラブ店員時代、
女の子をVIPにつかせるためによく
「だってお姉さん一番かわいいもん!男が喜ぶんだよ~」
という口説き文句を使っていた。
(ただこれを言ってもなびかない
セルフ自信過剰イキリ倒し最強姫タイプも
一定数存在するので、それはそれで別の手を
使っていたが。)
忍び寄る「老い」
さて、ここでである。
悲しいことに、こんなにもかわいいあなただが、
その容姿を永遠に持ち続けることは
果たして可能だろうか?
年齢とともに人は老いるものである。
さらに広い世界に出れば出るほど、
上には上がいることに気づく。
皆勘違いで可愛いと思っているわけではなく、
かなり客観性を持って自分の顔面をジャッジしている。
(だから化粧が上手くなるのである)
都会で生活している女性であれば、
ある程度この感覚はわかるだろうか。
週末の恵比寿や、渋谷や新宿を歩いてみてほしい。
あなたより可愛い子がゴマンと歩いている。
あなたがどれだけ自分に自信を持っていても、
確実に、あなたは一番ではない。
ただ、あなたよりブスな子もゴマンといて、
普通に歩いている。
せっかくハッピーな勘違いをして
自分が一番だと思っていても、
完全に盲目にならない限り、
どこかで気づくはずなのである。
この単純な美醜の土俵で勝負するには、
あまりに無謀だと。
ここで出てくるのだ、
「じゃあ私の価値って何だろう?」
という残酷な疑問が。
美醜にこだわっているうちは、
恐らく永遠に抜け出せないであろう
バッドループがそこにはある。
そしてその感覚は必ず、
それなりに他者と競いながら
人生を謳歌してきた女達
の中にはあるものなのである。
修羅の道
この土俵から降りることを決して
諦めない猛者たちのなれの果てが、
最近はやりの『美魔女』『美熟女』である。
というか「なれの果て」とか
書いているが、マジで全然人のこと言えない。
私の周りにも、20代後半で、
40~50台の会社のお局さんを
「ババアのくせに」と悪口をいう女性がいたが、
ちょっと待て、お前もJKからしたらババアだぞ、
その悪口自分に返ってきてんぞ、
と言いたくなる場面が何度かあった。
この「おばさん感覚」は、日本人特有の
スピード感だとよく言われるものであるが、
20代を超え、成長よりも老いが前面に出てくると、
同じ年代の中で一番若くありたい、
という「若さ至上主義」がはびこるようになる。
かわいさと美しさに加えてである。
「ナンバーワンになりたい」
「オンリーワンになりたい」
という、海賊王に俺はなる!ぐらいの
無謀なこと言い出したはいいけど、
「美しさ」「かわいさ」「若さ」
という3拍子の壁がそろって、
(まるで友情・努力・勝利のジャンプ様ね)
そんな状態で4皇なんて攻略できるんかい!
状態であるが、(ただ黒ひげは認めない)
まあ考えてみてくれ、ルフィが一気に
10話分ぐらいで3人+黒ひげを倒し、
麦わら海賊団がワンピースの秘密を突き止め、
『ひとつなぎの大秘宝発見!!
これにて連載終了!!!
尾田先生の次回作にご期待ください!』
なんてことがあるわけなかろうが。
いつだって攻略は一つずつ、
崩しやすい城から落としていくもんである。
「かわいい」の奥深さ
さて、ここで考えてもらいたい。
皆さんは、おばあちゃんやおじいちゃんに対して
「かわいいなあ」と思ったことはないだろうか?
小さい子供がかわいいのは言わずもがな、
年齢を重ねても、相手にかわいいなあと思わせる
「かわいさ」というものがなぜか存在する。
彼らは見た目がヨボヨボだろうが、
むしろそのヨボヨボ具合も含めて「かわいい」
と思わせていたりする。
ただ、おじいちゃんおばあちゃんになって、
内面的な美しさやかっこよさではなく、
単に顔の造形や立ち姿、皮膚の質感などから
「美しい」と思わせる人間はどうだろうか、
あまり想像がつかないのではないだろうか?
最年長モデルのカルメンさんぐらいか
勘のいいアンタたちは気づいたかしら?
そう、本来
「かわいさ」とは、年齢と関係なく、
「いとしさ」や「愛」のそばにあるもの
なのである。
単純に顔の造形に対して「かわいい」
と一般的に使うときは、顔の造形が幼いことや、
https://www.kogao-seisakusho.com/
目と鼻の3角形のバランスによって
「かわいい(幼い)」
と見る側が判断しているからだといえる。
下記ブログから抜粋
加齢によって人間の顔は伸びる傾向にある。
おじいちゃんやおばあちゃんのかわいさは
若さゆえのものではない。
(上記はこのブログの考察から⤵)
https://blog.goo.ne.jp/pointdpo/e/373b2be108004687999c7b9d77f85d06
残酷な天使のプロテーゼ
さて、皆さんが散々使ってきた「かわいい」
という言葉にはなんだか「美しさ」と
「若さ」も含まれているっぽいぞ?
ということはおわかりいただけただろうが、
「かわいい」とは違い、
「美しさ」は年齢とかなり関わりがある。
人は皆、顔や体の造形や状態に基づいて
「美」かどうかを判断するからだ。
(ex:シワが少ないほうが美しい、など)
美しいものというものは、
近寄りがたさがある。
見る人間を魅了する力はあるが、
触れていいのだろうかと、
見る側にためらいを与える威圧感がある。
対象との距離感はかなり遠い。
距離があるから憧れられるのである。
「かわいさ」は、ほぼ0距離である。
かわいいものに触れたい、近づきたい
という親しみやすい感覚の中には、
精神的にはもはや無意識であるが、
守るものとして対象を見下すという過程を
経なければならない。
これはかわいいよね
ちなみに男性の言う「かわいさ」というのは、
目鼻立ちがバランスよく整っていることに加えて、
この幼さを伴った「かわいさ」が
自分にとってちょうどいい距離感だった時の顔、
というのが最も近い表現だと私は考えている。
(「少女性」とも言い換えられる)
地獄の4パターン
そこであなたがもし、
「①他の女たちよりも綺麗でいたい!
②美人だといわれたい!
③男にかわいいと言われたい!
④とにかくモテたい!」
という湯婆婆
「贅沢な名前だねえ! お前は今日から千だよ!」
状態に陥っているならば、
どの項目が1番なのか?という優先順位
をつけなければならない。
なぜなら、この項目たちは似ているが
対処法はそれぞれで全く異なるからである。
①他の女たちよりも綺麗でいたい!
⇒「若さ」に魂を売れ(アンチエイジング)
②美人だといわれたい!
⇒「美しさ」に魂を売れ
(ダイエット美容整形叶姉妹)
③男にかわいいと言われたい!
⇒「かわいさ」に魂を売れ
(パーツの黄金律と幼さを習得)
④周りの人たちにモテたい!
⇒「善行」に魂を売れ(もはや宗教)
①と②の項目は、正直キリがない。
喜ばせたい相手が「自分」だからである。
自己愛がめちゃくちゃ高い人間はそもそも
今の自分に大満足しているので、
客観的に綺麗になる楽しさ以上の
病的なループに陥ることはない。
③と④は、リアクションをするのは
完全に他人であり、周りに受ける像に
今の自分をすり合わせていく、という
ビジネス的な側面が強い。
結果にコミットしやすいのである。
作って遊ぼ
さて、ここで最初に立ち返ってみよう。
「かわいいは、作れる!」
これである。
「若さ」や「美しさ」に比べて、
「かわいさ」はかなり意図的に作り出すことができる。
これは諸葛孔明
女は愛嬌という言葉はみな誰しもが聞いたことは
あるであろう。
顔の造作よりも、愛想がいいとかメイクの
技術によって「いい印象」は作ることができる。
綺麗な字が書けなくても、
丁寧な字が書ければ皆読むことはできるし、
丁寧な字で書く人は
非常に好印象なのと同じである。
決して男性に媚を売るということだけでなく、
周りの人に感じよく接するというのは
いろいろな人からモテるための第一歩である。
麺つゆと同じ運命
常日頃私は言葉を重んじて生きているのだが、
「かわいい」はあまりにいろんな
シチュエーションに多用されすぎて、
何でもかんでも
「とりあえず麺つゆ入れときゃ
美味くなるから!」
と言って多用されまくる麺つゆと
同じ運命を辿っていると感じている。
綺麗なもの、美人な人、幼いものたちに
何でもかんでもかわいいという言葉を
世間の人間達がドバドバ浴びせてきたせいで、
「かわいい」の価値が完全に下がっているのである。
完全にインフレである。
「可愛くないものに「かわいい」って
言うなよ〜」って言う男ども、
雰囲気や垢抜け具合で「かわいい」と
言ってしまう言語貞操帯がゆるっゆるの女ども、
お前らマジでふざけんなよ?!
語彙力を使え!!!
綺麗なものに対する語彙を
もっと増やして日本を幸せにしろ!!
と私は言いたい。
まあ最後ふざけながらも長々と書いてきたが、
私は「本当にかわいい」ものだけに
「かわいい!!!」と言いたいのに
全然重みを持たせられないのは
結構ストレスなのである。
ここまで読んでくれた皆さんは
是非、形容詞のバリエーションを増やす
私のキャンペーンに協力してほしい。
おねがいちます
終わり!!