初めて骨折したときの話

さて

ブログに書くこともなくなってきて、

どうするかな…

という状態になっているかというと、

意外とそうでもないのだが、

下書きばっかりがどんどん溜まっていって、

書かなきゃ…ああこれも書かなきゃ…

と締め切りもないのにまるで

締め切りが決まっている作家さんのように

なっていて、見えない編集の人に尻を

叩かれている。

で、今回はもろに体験談である。

みんなきっとラフに読めるものが

今は読みたいっすよね。笑

私は小学生時代、活発だったので、

かなりたくさん怪我をした。

小1の時はワックスがかかった床で

鬼ごっこをして、滑って腕でガラスを

突き破り、腕を10何針か縫う怪我をし、

 

↑左腕は分かりやすい

小5の時はいたずらっ子に教室のベランダに

閉じ込められ、あけろや!!とバンバン窓を叩き、

というか叩き割り、これは縫わなかったが

傷跡は残るぐらいに手首を切り、

↑分かりづらいが右手首はここ

そして同時期、怪我こそしなかったものの、

少年自然の家に研修旅行に行った時は

足で壁をキックして壁に穴を開けるなど、

なかなかのデストロイヤーな

小学生であった。

親が同じ地区の小学校の教員だったとは

とても思えないな。笑

骨折をしたのも小5の時だったと思う、確か。

嫌な予感

さて、私が骨折した日は寒い冬の日で、

ちょうど冬休み中だった。

家族でおばあちゃん家に帰省していたときの

ことだった。

その日は、前々から

父の妹(叔母)家族がスキーに行く

計画を立てていたのだが、私も便乗して一緒に

連れて行ってもらうことになっていた。

当日の朝、ウエアや持ち物を色々と準備して、

エンジンをかけて叔父ちゃんが車を暖め、

玄関でいとこの子とシューズを履いていた時、

急に頭の中にどよーーーんとした暗雲が

立ち込めたかのような感覚になった。

これは本当に不思議な感覚で、

今でもよく覚えているのだが、頭では

スキーに早く行きたいなー楽しみだなあ

と思っているのに、

(なんか嫌な感じがする…

 やめたほうがいいような感覚だ…)

という生まれて初めての

「嫌な予感」、いわゆる

「虫の知らせ」的体験であった。

でも「嫌な予感がするから行かない」

などという謎のわがままなんぞ自分でも

意味不明だったので、まあ気のせいだろうと

いとこたちと一緒に車に乗り込んだ。

そしてスキー場に無事到着し、

まあまずは初心者コースからノロノロと

滑り始めたわけである。

リフトの使い方にも慣れ、

ハの字、ハの字と唱えながら

何度かノロノロと上から滑り降り、

だんだんコツを掴んできた。

さて、流石に初心者とはいえ、

ちょっとコースに慣れてきた私は、

中級者コースに行く、と言ういとこに

ついて一緒に行くことにした。

あとで考えると、これが罠だった。

いとこはもともと上手い子なので、

初心者コースでウォーミングアップが

できた、ぐらいの感じだったのだろうが、

初心者コースで普通に滑れるなあ!

と味をしめた私は、まあ中級者コースまでは

普通にいけるだろ、と勘違いしてしまったのだ。

私はもう少し自分を疑うべきだった。

実力さえわからんものを過信すると

痛い目に遭うのである。

さて、それでも中級者コースに着き、

そろそろと滑り出したのだが、

これがめちゃくちゃ楽しいのである。

あ、やばい転びそう!というすれすれを

こけないように滑っていくスリルは

初心者コースとは比べものにならないぐらいの

楽しさであった。

それでも、

あーもう危ないや!こけちゃったほうがいい

という判断はできていたつもりだったので、

たまにこけて、それもまた楽しいと思っていた。

…しかしそれも罠であった。

柵の誘惑

私はだんだんスリルに慣れ始めた。

そして人が多く、ぶつかりやすいコース中央を

避けて、コースの右端、

奥には雪がかった森が見える方に

少しずつコースをそらし始めた。

今考えると誘われていたに違いない。

その方角にはコースを仕切るための

安全用のネットがついた、奥行きのない

サッカーゴールのような柵が設置されていた。

私はもちろんゆっくりとコースを

右にそらしたつもりだった。

だが、スキーのコースというものは、

真ん中は多くの人が滑って雪が慣らされている分、

思ったよりも凸凹感はなく、

気をつけるのは傾斜ぐらいなのであるが、

コースの端になればなるほど、

雪は慣らされていないので、

自分の予想した進路ではない方向に

板が持って行かれたりするのである。

そう、柵の方向に。

私はこの誘惑にまんまとハマったのである。

タイタニック

そして、あれ、と気づいたら、

板の自由がきかなくなっていた。

私はやばい、やばい、と焦り始めた。

必死で止まるか転ぶかしないと、

と思うのだが、

そうなるとさらにパニックになり、

だんだんシャレにならないスピードに

加速がついていく。

どうしよう!!

どうしようもできない!!

どうしよう!!

と一瞬のうちに300回ぐらい思ったのだが、

気がついたら、

もうそこまで柵が迫ってきていた。

次の瞬間、

「バアアアアン!!」

と体に衝撃が走った。

映画のタイタニックが岩にぶつかった時のあの

ドオオオオオオン!!ぐらい重い衝撃だった。

まあ実際の音的には

「ザシュッ!!」

ぐらいの感じだったと思うが、

私の体の中ではえらい衝撃だったのである。

こんなイメージだ

私はもろにネットに衝突し、

身体は大きくねじれた。

その瞬間の視界は、

一瞬のブラックアウトから、

目を開けてすぐにホワイトアウト

というモノトーンだった。

もう映像は無く、色しかなかった。

目を開けたはいいが、既に息が浅く、

身体全体が痛すぎて動けない。

呼吸ができず、息をしようとして

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…」

と和田アキ子のあの曲を永久に繰り返す状態に

なってしまっていた。

周りの大人たちが

「あそこ派手に転んだな〜」

とワイワイ言っているのが

遠くで聞こえたが、

いかんせん痛すぎて声が出せないし、

もちろん動くこともできない。

最初はワイワイしていたが、

いつまでたっても私が起き上がらないので、

何人かの人が様子を見にきてくれた。

「大丈夫〜?」

と声をかけてくれたのは

確かカップルか夫婦かわからないけど、

女性は白いニット帽に茶髪が見えた

記憶がある。

私は喋れず、息もろくにできず、

涙目で動かなかったので、

その人たちはまずいと思ったのだろう、

助けを呼んでくれた。

正直めちゃくちゃ痛くて、意識が飛ぶ

ギリギリのところをずーっと耐えていたので、

それからどのぐらいたったのか、

気づいたら初めて見るものに

私は乗せられようとしていた。

死体が駆け抜ける

私が救助してもらったのは、

レスキュースキーというもので、

↑確かこんな感じ

このバイクの後ろにボートのようなものが

乗っていて、私はそこに乗せられた。

救助の人は状態を確認してから、

私の顔から膝くらいまでオレンジ色の

毛布をかぶせた。

そしてその上から、ブルーシートをすっぽりと

かぶせ、私が寒くないようにと、

プライバシーをしっかりと守ってくれたのである。

そう、足だけ出したまま…

割と上の方で倒れてしまった私は、

スキー場のふもとまで下りなくてはならなかった。

上からレスキュースキーがブンブンいいながら

走ってくる光景は普通の人なら

見たことがないと思う。

もちろんその日スキー場にいた人たちもそうだ。

上から足だけ出たブルーシートを乗せて

バイクみたいなやつが下りてくるのだ。

私の痛みを考慮してか、

ゆっくりとバイクは進んでいったが、

その間に私は4回ぐらい

「えっ!!死体!?」

「やば!!死んでるの??」

という声が聞こえた。

聞こえてるぞ…と思ったが、

正直痛すぎて全てのことがどうでもよく、

死体だって…遺体ってか、痛いだけに、

とかそういうのを思えるようになったのは

3日ほど経ってからだった。

私は生まれて初めて救急車に乗せられ、

呼吸が浅いと意識が飛ぶ、体に悪い、

ということを隊員の人に教えられ

必死でヒーハーしているうちに

1つか2つ病院をたらい回しにされてから、

ようやく市の病院に診てもらえることになった。

診断の結果、左腕の骨折、

全身の打ち身と右足の負傷。

左腕はちょうど

鍋に入れる長ネギを切るようなあんな感じで

斜めに綺麗に折れていた。

痛さ

この後身体はずーっと不調だったが、

ほぼ完全に身体が戻るまでは1年ぐらいかかった。

左腕はいまだに可動範囲が右より狭いし、

感覚は右より鈍い。

あと骨盤がかなり歪みやすくなった。

この時の痛さはまだ出産を経験してないので

なんとも言えないが、

人生でベスト3に入る痛みだった。

こうしてネタにできたし、

骨折したことがあるというのもまあ1つの

人生経験かと思う。

死体と呼ばれたのも初めての経験だったし。

あとは嫌な予感がしたら、

慎重に行動するようになった。

嫌な予感がした時のそのあとの記憶を

よく覚えて、なんとなくデータとして

取っておくようにもなった。笑

皆さんも嫌な予感がした時は

くれぐれもお気をつけあれ。

終わり!!

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