父の話をする。
父の実家は元農家だが、
当時の農村のコミュニティ内では長男(祖父)が教師になるという珍しい家であった。
祖父の母(ひいばあちゃん)はきつい人だったらしい。
戦争で先立った夫の代わりに鬼子母神的な強さでガシガシと子育てをし、
息子(祖父)、息子の息子(父)が二人とも教員になったことで、
地域内で暗黙のうちに地位を得ていた(田舎では「先生」は偉いのだ)。
嫁(祖母)に対してはまあご想像の通りのイビリようであったらしい。
この私の父方のおばあちゃんについては、
今後私の人生に大きく影響を与えることになっていく。
(ちなみに祖父には何人か妹がいるが、全員ほぼ同じ顔をしていて見分けがつかないため、
私と父はクローンと呼んでいる。
皆揃ってコタツに入っている姿などを見ると、たびたび脳のバグが起きる)
そんなひいばあちゃんであるが、
私はボケてからのひいばあちゃんしか知らないので、彼女はコミカルな存在だった。
ボケ方がハッピーなことで有名で、
いきなり
「空から金が落ちてきた……ありがたや、なんまんだぶ、なんまんだぶ」
発言、
まだボケるだいぶん前、
私の父が高校生で実家で一緒に暮らしていた時、
当時父がハマっていた某メタルバンドのポスターをトイレに貼ったところ、
夜にトイレに入って、
驚いて腰を抜かしてしまい、
父にどなりこんだというほんわかエピソードを持つ。
ジーンシモンズも驚きである。
そのひいばあちゃんであるが、亡くなったのは大晦日の夜だった。
その夜、年越しと正月合併号のご馳走を大量に平らげた私が食あたりをおこし、
紅白を見ながらTVの前で大リバースのマーライオンになって
親戚中にシンガポールの風をまき散らして倒れるという騒動の裏側で、
酒を飲んですでにベロベロに酔っぱらっていた大人たちに、
ひいばあちゃんが入院中の病院からまさかの連絡が入り、
亡くなったばあさんの遺体を引き取りに病院に行き、車で家に運んできたと思ったら、
(当時飲酒運転の規制は今より緩めだったが、致し方なくであった)
今度は入れ替わりで倒れた私をまた病院に送る、
という親族のBODYキャッチ&リリースの状態だった。
つまりその日私は、体調を崩してからひいばあちゃんの死を知らされ、
また病院に送られる途中で
「お前のところさっきまで死んだばあさん乗っとったで」
という衝撃発言を聞かされた訳だが、
本当にマジでそれどころじゃねえわ……この吐き気と下痢なんとかしてくれ、
と意識朦朧の中思ったのをよく覚えている。
体調不良は悲しいとかショックとかちょっと怖いにも勝るのだ。
健康って大事。
話がそれたが、父はそういうキツい祖母をもち、
聡明なじいちゃんと優しくて我慢強いばあちゃんのもとで、長男としておおらかに育った。
大学で寮生活をしていた時のエピソードや、
教員採用試験の時のへっぽこエピソードもあるが、それはまたの機会に書こうと思う。
追記:もう書いてしまった。こちらです。