- 前回までのお話はこちら
さて、眠りについたのはいいのだが、
案の定熱が出た。何度か頭痛で目が覚め、
寝れねえなーとなったのでナースコールで
鎮痛剤追加してけろ~すまんやでー
ハー助かったンゴーのやり取りをして、
その後点滴で数時間ずつは細切れで眠れた。
点滴につなぎっぱなしで寝返りとかはちょっと
怖いのだが、意外と眠れる。
別に術部が切れている以外は
身体は元気なんだけどなーとも思ったが、
やっぱ怪我って普通におおごとなんだなーと
他人事のようにぼんやりと考えていた。
私のベッドはトイレが目の前にある位置だったが、
明け方、なーんか獅子おどしの夢をみるなあーと思って
まどろみながら薄目を開けると、
向かいの部屋のおじじが最寄りのトイレで
信じられんぐらい長いおしっこをしていた。
これはかなり印象に残っている。
(あんたどんだけ出るねん…これは絶対ブログに書く…)
と思いながらまた寝た。
男の人のおしっこってたまに1曲分ぐらいあるよね。
術後1日目はとにかく風呂に入りたくて、
院内は温かい上に私は熱で汗はかくし、
頭が皮脂くせえーと自分が嫌で、
ドライシャンプーなどをした(気休め)。
そして術部が普通にめっちゃ痛い。
インフル2日目のあの感じの
頭のぼやっと感を伴いながらも、
お腹は相変わらず空くので、
親がお見舞いに来てくれて面会したり、
点滴のコロコロを引っ張って下の階の
コンビニに買い食いをしに行ったり
(私は病院食の他の食事は特に制限がなかった)、
この辻斬られた後の江戸の民のような感覚で
一体どの音楽が心に響くのか、
それとも響かないのか、色々聴いてみたり
(途中でしんどくなってやめた)、
DLしていた映画を見ようとチャレンジして断念したり
(手に何かを持ち続けるのがしんどかった)
また医者のひよこたちが白い巨塔の巡回に来たり、
なんやかんや時間が過ぎて、
担当の先生が傷の様子を見に来た。
この時まで私はちゃんと創部を見ていなかったので、
先生が縫ったところをチェックして、
水がたまるので、それを抜きますねーってどでかい
注射用キットを持ってきたときは、
えっ!それ刺すの?!と息が止まりそうになった。
(術後ドレーンを入れる人もいるけど、
私は入れなかったので、
たまった組織液を逐一抜かないといけない)
私「え…?!痛い?!痛い?!」
医「いや、大丈夫、痛くない痛くない」
私「えっ…ヒイイイッ!! 怖い…ヒイイイ‼︎ …ヒイ‼︎」
医「はい刺しますよー」
私「くぁwせdrftgyふじこlp」
手術を既に終えている病室の猛者達(くくくく…)
先生はためらいなくちょうど縫ってある中間に
どでかい針をブッ刺した!
痛…!!くなかった。
マジでびっくりだよね、全然痛くなかった。
そして見ない方がいいよ、と言われたのだが、
たまった水を注射器で吸い出した後の私の胸の
左サイドはクレーターのように見事にえぐれていた!!
色々と驚きがあったのだが、まず、麻酔が切れても
切った跡の周辺部は感覚がなく、
しかも長期間戻らない。
(私はほぼ全範囲感覚が戻ったな、と思ったのは
手術から2〜3ヶ月後だった)
あと、水がたまっていてわかりづらいのだが、
腫瘍をごっそりとった後はちゃんとえぐれる。
元来私は体型的に乳はないので、ケツで売るしかなく、
ない乳を盛るかケツ好きの男を捕まえるかという
ギリギリの選択を余儀無くされているのであるが、
昔いろいろなタイミングで貧乳をいじられたときに、
何カップ?などと聞かれたら必ず自虐で
「マイナスAカップです!」
「どういうこと?」
「えぐれてるってことです!」といって
ひと笑いを作っていたのだが、
私の左胸は術後本当にえぐれたので
みんな言葉は言霊を持つからマジで気をつけてほしい。
(その時はコミュニケーション半分セクハラ半分の
相手とやり取りをするのに重宝していたので、
私は自分の言霊のせいで…なんて微塵も後悔はないが)
ちなみに胸にこんな腫瘍があるという事を
親にカミングアウトし、
ほっとくと腫瘍が皮膚を突き破って爆発するんだ!
と父にちょっと盛って詳細を話したときは
「お、お前・・・!!それは…
別の意味で爆乳になるってこと?!」
と言われたので血筋は争えない。
ふざけすぎだろ。
ふざけるくせに私のいないところで落ち込んでるし。笑
まあふざけることはある面救いになるらしい。
で、この水がたまっていると感染症の原因になるので、
1週間程度は抗生物質を飲み続け、
胸にベリベリのバンドをサラシのようにきつく巻いて
水がたまらないようにガーゼを多めにあてて、
それでもたまっちゃうので
手術後もちょこちょこ通院して水を抜く必要がある。
これは地味にストレスだった。
水が抜けないと皮膚と内側がくっつかないらしいのだが
水がちゃんとぬけるとえぐれている部分を直視する
はめになり、精神的にちょっときつかった。
水たまったらダメなんだけど、
たまったら乳房もふくれてちょっとだけ
ビジュアルが回復するので、
気持ちも少しだけ回復するのだ。
ちなみに、乳がんなどでは腫瘍みんなを取るのと同時に
乳房の再建をする人もいるので、そのパターンの方は
術後の痛みとケア、新しいパーツによる
ビジュアルの変化を同時にやってのけないといけない。
この過程を経た人はみんな多分瀬戸内寂聴ぐらいには
達観癖が付くと思う。みんなすげえよ。
私はまた切ってビジュの回復をするほど
気持ちの執着とかお金とかの余裕がなかったので、
今日まで特にプラスアルファの手術はしていない。
脂肪豊胸などはまた腫瘍の原因になるので、
今からデカい乳を手に入れたければ
シリコンを入れるより他にないのである。
難儀でかわいそうなことだぜ。
まあ私よりこれから私を抱く予定の男がだけど。
で、なんとか術後1日目を終え、2日目にはシャワーも
入らせてもらい(ちなみに激痛だったが
頭の不快感と引き換えにする価値はあった)、
3日目にはもう退院である。
そんでもって、みんな何となく外科医って
毎日手術してるイメージあるじゃん、
あれ違うんだよね。全外科医がそういう訳じゃない。
大体平日前半で信じられないぐらいの数
予約患者の外来の対応をして、
(1日40件とか診る先生いる、ご飯食べられないよね)
その患者さんに必要な手術を決めてから
だいたい先の週末とかにオペを入れている。
(乳腺外科はそういうスケジューリングぽかった、
他の分野は急変とかももちろんあるし
長期入院は訳が変わってくるので、
より生死がかかっている科は
おそらく比にならないほど不規則だろう。)
何が言いたいかというと、
その先生のスケジュールのパターンをだいたい
把握しておくと、術後の再診の日程が取りやすいよ
ということである。
こっちだって有給が湯水のごとく取れるわけではない。
退院前に担当医のOKをもらい、
次回の診察の日程を決めて、
看護師さんから退院の流れの説明を受ける。
ここでちょっとモヤッたのが、
この段階で退院時間がはっきりしない、
支払い金額・方法がはっきりしない、
この2つだった。
退院時には親が迎えに来るので、
何時頃に退院、というざっくり時間が欲しかったの
であるが、その辺がグダッていて何時、というのが
わからず、ベッドを片付けて忘れ物などのチェックを
受けている間、外で待っているせっかちな親に
急かされて結構ストレスだった。
心配する身内はそんなつもりなくても
こっちは苦しめられるパターンである。
日曜退院だったので、病院の防災センターなどの
自動支払機で支払おうとするもできず、
え、今日は払わずに帰るの?!え、そうなんだ?
後日金額は自宅に書類郵送…?
みたいなことを言われ、
まあそうか、と思って帰宅した。
結局、高額医療費控除の承認と詳細が
けんぽから送られてきて、病院側でそれを
精算してから私に請求という流れだったようで、
どちらにしろ当日は支払えなかった。
(私は後日再診の日に経理部の人についでに
払いたいんだけど今払えない?とごねて
再診日に払わせてもらった)
自宅に帰り、明日から仕事か…キツイな…
と思いつつも、心配してウロチョロする親が
ホテルに戻るまでは何とか普通にしていた。
次の日は普通に仕事に行ったけど、
やっぱりかなり体がきつかったので
結局若干の早上がりをさせてもらった。
だが一応これにて手術のハイライトは終了である。
さあ次回のまとめにつづく!