私のメイクの歴史をさらす①

はじまりは

何だっただろうか、普通の女性は

母がメイクしているところに憧れて…

とかなのかもしれない。

そういう自らを飾るシンボルとして

一番最初に目に入ったのは

私はマニキュアだった。

姉の持っているマニキュアをまじまじと

眺めたり、100円ショップでトップコートを

買ってはへたくそであるが塗って楽しんでいた。

小学生の頃は憧れはありつつも、

いったいどうやってメイクというものをするのか、

基本的なプロセスや完成形というものは

全く分からなかったので、

まずは自分が知っているアイテムから持ってみる、

ということからだったように思う。

今となっては大人になり、

ネイルに通うようにさえなったが、

(※リンク参照:ネイルとはなんぞやというあなたへ

小さいときはそんなことは夢にも思わなかった。

なので、マニキュアから始まり、

「マスカラ」や「口紅」など、

そういうアイテムをもってみる、触ってみる

というスタートラインだった。

でも、女性ならおそらく経験があるかと思うが、

眉毛を整えたり、

肌のケアもすることないまま

ピンポイントで目立つ色をさしたり、

まつ毛だけどばっと極太になると、

人の顔はちょっと変になる。

その違和感はさすがのちびっこの私でもわかる

ものであったので、

お外にその違和感をまとったまま出る、

ということはなかったし、

何しろ母が私のそういうことに対して

「色気が付いた」という彼女にとっての悲劇的な

レッテルを勝手に貼る人間だったので、

母にもばれないようにこっそりチャレンジ、

という物悲しい小学生時代だったように思う。

中学は眉なし

中学の頃もやはり、

小学生時代を引きずっていたので、

メイク=アイメイクというイメージから

抜け出せなかった私は、

無駄にアイシャドウやマスカラなどを買って、

目に色をのせたり、まつ毛をビヨーンと伸ばして

楽しんだりしていたが、

その過程で、あることに気づいた。

(眉とのバランス、おかしくない?!

 なんか眉だけモサッとしてる…)

「そうか!!眉を切ってみよう!!」

皆さんはよく

坊主頭でこんがりと日に焼けた

大きなスポーツバッグを持った野球少年たちを

目にするだろうが、

彼らは大体眉毛がない。

これはマネキン

眉がうっす―――く整えられている。

そう、私も大人から見るとなんじゃそれ、

というああいう眉であった。

決してそれがかっこいいと自分で

思っていたわけではなく、

ただただ「こっちのほうがマシなはず」

という謎のベクトルに突き動かされていたのが

私の中学生時代であった。

健気な芋娘である。

高校はまつ毛

さて、そんな私も高校生になり、

雑誌などの切り抜きをするようになってもなお、

メイクは肌ではなく、

目からという認識は変わらなかった。

どんだけ疎いんだ。笑

その頃はビューラーや粉、

口紅などは一応持っていたが、

口紅も粉もほとんど使わなかった。

やはり、絶対的な一強、

「マスカラ」

であった。

朝、一生懸命ビューラーでまつ毛を上げ、

一生懸命ナチュラルに見えるように

重ね塗りしてから登校する、

という不自然なスタイルを貫いていた。笑

このころの私はメイベリンの信者だった

と言っても過言ではない。

パンダ目にもダマにもならず、

メイクしてる?というギリギリの状態

(と本人は自負している)で学校に行き、

お昼休みにはトイレで

それでもやっぱりパンダ目になった目の

お直しをする、というのが日課であった。

次回に続く!

私のメイクの歴史をさらす②

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