大変長らくお待たせした。
お待たせしすぎたかもしれない。
お久しぶりのおりょうです。
2023年を終えると同時に
SNSからスパッと姿を消したので、
そちらでしか繋がっていなかった人達は
急に私が消えたなあと思ったことであろう。
TwitterがXに変わったころあたりから、
俗世の情報やそれぞれの思惑で味付けされた言葉が
勝手に入ってくるタイムラインに辟易しており、
対処法をちまちまと考えていたが、
いっそ一回やめてみるのもいいかもと思い
X・インスタ共にアカウントを削除したのである。
過去に自分が思ったことたちや吐いた言葉は
ブログのネタになることが多いので、
惜しくはあったが、ここで一旦捨てることも
おそらくネタの一つと割り切った。後悔はしていない。
で、音楽夜遊び界隈からも1年以上遠ざかっていた。
というのは、本気で自分の病気と
対峙する覚悟を決めるためである。
私には数年前から左胸の左側にしこりがあり、
3〜4年ほど前、一度クリニックを受診した。
その時に針生検という、
どでかいピアッサーのようなマシンで
腫瘍部分の組織をバチンバチンと刺し抜いていく検査と
マンモグラフィをし、”葉状腫瘍”であるという所見から
大きい病院に紹介状を書いてもらったのだが、
その後すぐに受診せず浮いた紹介状を
コソコソとあたためていたのである。
というのも、検査自体が
かなり当時の私にはハードであった。
針生検は一応麻酔をするのだが、
普通にめちゃくちゃ痛い。
まず麻酔の注射自体が痛い
(そのせいでまずそれが
軽い絶望の引き金になっている)。
そして処置自体はピアスの穴を開ける時の
7倍ぐらいの衝撃があり、腫瘍の大きさによって
3〜6カ所ぐらい穴を開けて、組織を抜き取る。
これが麻酔の効き具合によって
とっても痛い箇所があるのである。
ただ、マンモグラフィの痛さは
それをかなり上回るものであった。
巨乳だろうが小胸だろうが関係なく、
上から横から乳をぎゅうぎゅうに挟み込んで
ギリギリギリ…と圧力をかけ
固定して撮影するのである。
(もし垂れ乳スライムタイプで
ほとんど痛みを感じない女もいるのなら、
羨ましすぎて死ねといまだに思ってしまう)
男なら、たこせん作るプレス機があるじゃん、
あれに金玉を片方ずつ挟んで、
厚さが5ミリになるまでギリギリギリ…
って潰されるところを想像してほしい。
もしマンモの開発者に女が入っていなかったら
私は多分プレス機を運びながら
末代まで開発者の血族の男の金玉を
潰して回ってやると思っている。
この2つの検査がかなり衝撃的で、
当時20代後半の私は正直びびった。
検査自体がこんだけ痛いのかよ…
これで切るならどうなるんだろう…
という大ビビりモードになった。
この腫瘍は原則切除が必要なのだが、
ガンのように転移したり、
すぐに悪さをするようなものではないので、
緊急を要するわけではないが、
放っておくと大きくなってしまう。
なので、また次回詳細なデータをお渡しする
ついでに解説しますね…というタイミングで、
ちょうどコロナの波がクリニックを襲った。
(そう、あの時期である。感覚的にわかるだろうか)
クリニックからの連絡で、
院長を含む数人がダウンしているため、
受付でデータだけお渡しを…ということで、
検査結果の書類や
CD–ROMに焼いてもらった画像データだけ
持ち帰った私は、とりあえず
切らずに済む道はないか?
ということをネットで検索しまくった。
その時の腫瘍は体感で小粒の梅干ぐらいの
大きさぐらいだったと記憶している。
めちゃくちゃ調べまくったが、
基本的には切る以外によくなる道がなさそうだった。
(病気関連の情報のサーチって
マジで心の容量食うよね。あれほんと辛い)
そこで私は、逃げた。逃避である。
大きくなるって言っても、
この程度の大きさで死ぬまでずっと
変わらないかもしれないし、という
極めて希望的な観測と、消えない不安を
少し抱えながらぬるっと日常に戻った。
すぐ死ぬような緊急性は確かになかったので、
これはもう本能的にしょうがなかった。
この時すぐ動かなかったことに対して、
今でも正直後悔はない。
私の癖は、
「最悪をシュミレーションすること」である。
当時考えた最悪は以下のようなものだった。
今からすぐ受診して、
民間の医療保険も入っていない、
入院費用もろくに準備してない状態で、
でかい病院で莫大な金を使うのか。
また痛い検査やもっと痛い何かを
する必要が出てくる。
しかも受診したら手術までの
強制スケジューリングが始まる。
逃げられないだろう。
有休何日あったっけ。
通うなら仕事どうやって調整しよう。
そして何よりも、
自分で調べた範囲内の情報では、
このタイプの腫瘍は、
腫瘍の周りも大幅に切除する必要があるらしい。
もともと大した胸じゃないけど、
ちっちゃい胸でこんな大きさの腫瘍なんだから、
おそらく私なんかは
左胸を全摘出する必要があるかもしれない。
受診したら、私は左乳を失うとする。
同時に再建手術もするみたいだけど、
受診したら偽の乳がぶら下がって、
その乳と一生お付き合いしながら生きていく。
…どうせなら右乳も改造して巨乳にならないかな。
ああその場合保険適用にはならないか。
どうしようかな。
どうしよう。
まあどうせ一生結婚はできないだろうけど、
パートナーがいても見せるの多分ためらうよね。
新しく恋愛するときにもこのことをいちいち
カミングアウトしなくちゃいけないんだろうか。
子供を産んだとしても片方だけ母乳が出るなんて、
乳首の色とかも変わるし
見た目的に絶対差異が出てくるよね…
再建するってそういうことだよね…
そして再建しなくても
いびつな形の胸を抱えて生きていくんだよね。
脳内の最悪はこのような感じだったように思う。
そこで私は伝家の宝刀、
必死でどこに本質があるかを探した。
気づいたのは、自分の金がなくなったり、
乳がなくなってしまうこと自体には
そこまで執着はないということだった。
元々もう出家したっていいと思っていたぐらいだ。
ただ、これだけの変化を急に受け入れてしまうと、
それまで維持していた私の中の
社会的な部分や俗世との関わりを司る
マインドがおそらく壊れる。
恋愛なんかもそうだ。
これは物理を超えた部分の話だが、
乳があるから女は
セックスの土俵に上がることができる。
生殖器は必要だが、
乳はある面女の『顔』だ。
男は両方兼ねているのがちんこなので、
話はややこしいが、例えるなら
「ちんこに良性の腫瘍ができたから
切ってくださいねー!
まあ勃起時の大きさは
半分になりますけどねえ…
まあこのぐらいあればギリ生殖はできますから!」
って言われたらどうだろう、多分男性は
怒り狂うのではないだろうか?
そんなことを易々と受け入れて
再び社会生活に戻れるならぜひやってみて欲しい。
俺のちんこ半分になりましたけど俺は最強です、
ってすぐには思えないと思う。
というわけで、身体的にも精神的にも
でかい変化を自分で消化して、
納得してから社会生活を送らなければならない。
で、そこでああそうか、
必要なのは、
現実を受け入れる準備期間と覚悟だ。
私はこのような結論を出した。
ちんたらしている間に腫瘍が大きくなったとしても、
今必要なのは時間!という結論をつけた。
医療的には大間違いなので、
マジで絶対に真似はしないでほしいが、
私にはこれしかなかった。
必死にはなっていないけど、
じわじわと大きくなっていく腫瘍を抱えて、
少しだけ陰ってきた日常を
明るくするために、あがき始めた。
腫瘍はピンポン球を切ったぐらいに大きくなっていた。
健康オタクになってしまった姉の
「肉食うのやめるてみるといいよ!」
というアドバイスを試してみたり、
身内の他の女系もしこりあるけど大丈夫そうだよ、
という情報をあてにしたり、
ワクチン打った後にできたから
都市伝説・陰謀論界隈の言うことも一応試すか…
とまずい重曹水を飲んでみたり、
ちょうど厄年だったからそれがでかいよね…と
神社にいつもより多めに奉納して
ご祈祷をお願いしてみたり。
そして今年に入って、
ようやく大きな病院に電話する覚悟がもてた。
この頃にはもう大き目のミカンを半分に割ったほど
大きくなっていて、左右差は凄まじく、
乳首から母乳のように血液混じりの体液が
タラタラ出ている状態だった。
腫瘍が邪魔で寝返りもうちづらく、
毎日左胸だけ切ったナプキンを貼り付けて、
常に乳が生理のような状態だった。
ここまでの状態になってやっと、
全摘でももう構わん、不便が勝つ!
という勢いのもと、
古文書のように古くなった紹介状を握りしめて
恐る恐る病院に予約をとったのである。
次回に続く!