「敬意」って何?という話

誰も言わない真実

社会に出て、すでに働いている皆さんであれば、

学生の頃思い描いていた「大人たち」というものが

思ったよりもレベルが低いな、

という経験をしたことがないだろうか?

学生の皆さんにとってはマジで申し訳ないが、

いい人はちゃんと上に行く、

社会的に地位のある人はきちんとしている、

問題のある人はちゃんとそれなりに

ペナルティがある。

そういう風に社会は律されていると思うだろうか?

はっきり言っておくが、

そんなものはまぼろしである。

世の中には、クラスでいじめっ子だった、

誰かを自殺に追い込んだことのあるようなクズが

普通にバリバリ稼いで「部長」とか「課長」とか

代表取締役になっていたり資産を持っていたりする。

そこまでいかずとも、

電車の列に割り込んでくるジジイや、

人を突き飛ばすおばちゃん、

買わない客には舌打ちをする店員や、

女はやれるゴミぐらいにしか思っていない男たち。

そんな奴らは、あなたよりいい家に住んで、

高い給料や年金をもらって、

あなたよりたくさんの休みがあって、

あなたより楽しいことをいっぱいしている。

めちゃくちゃムカつく現実だが、

これが世の中の真実だ。笑

だけど、だからってあなたが徳の低い行動を

しても大丈夫か、というと、そうではなかったりする。

なぜかというと、あなたの中にはすでに

「モラル」という自分の道徳心に

連動する行動パターンがすでに

出来上がってしまっているからだ。

要は、一種の呪いである。

「こんなことをしたら罰が当たりそうだな」

という思いがどこかにある時点で、

同じ行動をしたとしても、

何も考えずに犯罪をおかす人間よりも

ひどいしっぺ返しを食らったりする。

モラルのある人間が自分のためにモラルを

遵守する、というのはこういうところが大きい。

じゃあモラルなんて持った者負けじゃない?

と思いそうだが、そうではない。

なぜなら、日本人の大多数は

モラルの基準を少なからず持っているからだ。

諸外国と比較して、日本という国は

「落とした財布が届けられている」

という国民性を持っている。

これってすさまじい徳の高さだとは

思わないだろうか?

要は、モラルのレベルが高く、

また、国民への浸透度も高い。

国民の半数以上はある程度きちんとした

道徳観念を持っているといえる。

ちなみにこれは行動の話ではないぞ。

心の中の話だ。

要は、万引きをする人間が多いかどうか

は置いておいて、万引きをした人間で

「いけないこととは思わなかった」と

心の底から思っている人間はかなり少ないはずだ、

ということである。

モラルをもっている人間が

「いけないことをしている」という

ドキドキ感やドーパミンの分泌が気持ちよくて

万引きをするのである。

私は思うのである。

モラル遵守人口を増やし、

深層意識だけでなく、

人とのコミュニケーションの中でどうやって

それらを守っていくのか具体的に学べば、

社会は確実によくなるだろうと。

別に私が一番モラルがある、

と言っているわけじゃないぞ。笑

ただ、傷ついたことのある人間、

人の痛みを知っている人間は、

他の人たちを正しく導くことができる、

秀逸かつレアな人材である、

ということは強く言っておきたい。

前置きが長くなったわね。笑

本編に行くわよ!

HOW TO

さて、モラルを遵守すると言われても

別に法律守るぐらいだろ、

どうしろというねん

ということである。

私なりの方法を挙げよう。

「他人に敬意を払う」

これ一択である。

以前にチームワークを良くするには、

というテーマで書き始めたが結局

コロナの話になってしまった以下リンク↓

危機感の話

危機感の話〜エピローグ

でも危機感の共有一択だと書いたが、

今回はその骨組みのような部分にあたる。

なんかよくあるマナー本のようだが、

じゃあ「敬意を払う」ってどういうこと?

という疑問に対する私なりの答えを書いていこうと思う。

みなさんはよく昔から

「目上の人には敬意を払いなさい」

「他人には敬意を払いなさい」

とかテキトーに大人たちから

言われて育ってきたのではないだろうか?

そもそも敬意って言葉の意味は?

というわけで、ググったときに

皆さんが一番最初に得られる回答としては

以下のようになっている。

[デジタル大辞泉の解説]

尊敬する気持ち。

「敬意を表する」「敬意を払う」「敬意をこめる」

 
[大辞林第3版の解説]
相手に対する尊敬の気持ち。 「 -を払う」
 
 
[精選版 日本国語大辞典の解説]
〘名〙 うやまう気持。相手を尊敬する心。
〔改正増補和英語林集成(1886)〕
※東西南北(1896)〈与謝野鉄幹〉自序
「満服の敬意と、謝意とを表し申し候ふ」
〔邵軫‐雲韶楽賦〕

ふむ。まああんま読む気にはならん。

私の答えはこれらのどの答えとも違う。

私の答えは、

「相手を100%理解するのは不可能だと知る」

これである。

例えば、親は子供を育てる過程で、

子供のすべてを把握し、

守り、育てることになる。

でも、次第に成長していき、

自我がめばえたり、大人になった時、

いつの間にか子供は、

親には全く見せなかった一面を隠し持っている。

他者とのかかわりを持ち、

社会性のある環境の中に身を置くようになり、

自我が芽生えたその時点で、

その子の100%を理解するのは不可能に変わる。

親に出来損ないだとみなされ、

クズ呼ばわりされて育った子が、

将来大成功したりな。

これは逆に、皆さんが大尊敬する人に対しても

同じことがいえる。

大成功していて、生き方もかっこよくて、

徳も高いジョブズみたいな完璧なおじさんや、

人間臭くていつもトチる天然さんだけど、

筋は通す、綾瀬はるかみたいな素直な彼女が、

実は援助交際にはまる汚いオッサンだったり、

ガンガン人を裏切って稼ぎまくる結婚詐欺の

達人だったりするのである。

極端な例だけど、そういうことなのである。

そうじゃなければ世の中に裏切りなんて

生まれないし、裏切るかどうかの

心の葛藤がテーマのドラマが

生まれることもないのである。

見切ったらそこで

大人になって、人間関係の中で

仕事をしていると、

「相手の把握」というものが

とても重要になってくる。

相手の人間性や考え方、行動パターンを

把握すればするほど、

「付き合い」はやりやすくなり、

より上達していく。

だが、そこには大きな落とし穴がある。

「見切った気になってしまう」

という大落とし穴である。

私もハマりそうになって、

毎回冷や汗をかく。

ある程度人を見切ることは、

非常に大事なスキルだ。

相手を理解する能力が高ければ、

ほぼすべての仕事で成功できるだろう。

私も相手への理解力の高さがよくかわれる。

逆に、共感力の高い人に分析をされることもある。

その時によく思うのは、

それが当たる人間ほど「余幅を残している」

ということだ。

お前こんな人間だから、

こんなことを考えていて、

こうされると嬉しいし、

こうされると嫌だろ?

で、お前の能力はこんなレベルで、

お前の苦手なことはこれだよな!

「だから俺はお前をこう扱うぜ」

☝大事なのはここである。

人は、見切って扱われた時、

そこに余幅が残されていないと、

「遊び」の空間を失う。

そして、そういうキャラが求められている、

と感じ、それを演じる道しかないように

感じてしまう。

要は、キャラクターがすべての、

ただのお人形になっちまう

ということなのである。

長年連れ添った夫婦どうしでも、

お互いに全く知らない一面や、

見せない部分は確実にある。

それが、

”あなたのこと、

95%は理解してるってぐらい知ってるけど、

でも、5%は一生わからない”

というマインドでいると、

相手の扱い方が丁寧になる。

人間は慣れると扱いが雑になる生き物だ。

逆に未知のもの・知らない人のことは

丁寧に扱う習性がある。

この余幅があるだけで、関係の持続力が

かなり変わってくる。

その余幅には、

その人がこれから成長していく可能性の

タネになったり、

新しい関係のきっかけになる「未知」が

つまっているのである。

関係の手入れ

ここまで言ってきたことはすべて、

「親しき仲にも礼儀あり」

のただの我流の新訳だ。笑

今までさんざん男はどうのこうの~

とブログで語ってきたが、

正直、中長期的に相手を大事にする、

ということにおいては、男性のほうが

圧倒的不利であるのは確かだろう。

なぜなら男性は基本的には、新しい刺激を求め、

見切った相手のことは丁寧に扱っても

意味がない、とか、

見慣れた顔のどこに「未知」があるのだ、

そういう思考の人が大半だからだ。

男尊女卑×狩猟本能と片づけてしまえば

それまでだけどな。

男女の関係においては特に、

確かに身体を重ねて、

これ以上見せないところまで見せ合えば、

もう新巻なんて出ないよね!

連載お疲れっした!!

となる心理はわかる。

分かるが、それは非常に浅はかである、

ということも言っておきたい。

だって、それは逆に言ったら

あなたって浅はかだから適当な扱いで

十分だよね、

残飯でも食っとけよカス、

と言われるの同じになるからだ。笑

同性同士の付き合いなら、

同じ内容のミーティングを

長年積み重ねる、ということに

絆や深さを見出す人は多いが、

毎回同じなのに毎回面白い、

そういう時間が関係を長続きさせる

秘訣になるのかもしれない。

ただ、どんな関係でも、

手入れをしなければそれらはどんどん

腐っていく。

本革の手入れのように、

定期的にきちんと、丁寧にケアをしたり、

状態把握をしたり、それでも何があるか

分からないんだぞ、という覚悟をもって

気を引き締めておくことで、

関係には適度な緊張感が生まれ、

締まりがある状態をキープできる。

それが親子であろうと、

職場の関係であろうと、

友達であろうと、

恋人同士であろうと、

夫婦であろうと、

変わらない。

いろんな関係が

飽きたなーとか、つまんねえなーとか、

いつも長続きしない人は

少し意識してみては

いかがだろうか。

終わり!

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