ホームビデオ
皆さんは、これを読んでいる世代に
よってもまちまちであろうが、
自分の小さいころを映したホームビデオ、
というものを見たことがあるだろうか?
私の実家には、私の小さいころも、
姉の小さいころの映像も残っている。
まだビデオといっても、
カセットを差し込んで見るタイプのもので、
現代のスマホ世代からすると訳の分からん代物である。
映像の中で見る小さいころの私は、
自分が思っていたよりも賢いじゃん!
このチビ2ちゃいのくせに!
と思うようなシーンがあってびっくりしたりする。
たとえば、
チビの私が自分で首もとのボタンを留めようと、
一生懸命やってみて、留まらなかったので、
母のところにトテトテトテ、と歩いて行って、
母は風邪を引いている私?のおでこを触って
熱を確認しつつ、ボタンを留めてあげる、
そういう映像を、父がかわいいなあと思いながら
撮っているんだろう、とわかるような映像である。
自分自身が物心ついてからの記憶と、
自分を小さいころから見つめ続けてきた者たちの
記憶というものは異なる、ということは、
文化とテクノロジーの発達によって、
皆さんも知りえるところとなった。
愛情と影響は別もの
私は以前から家族の話を書いていて、
割と悪口を書いてきた。結構書いてきた。
でも、家族のことを愛していないわけではない。
ただ、たとえ家族同士でも、
きちんと互いを一人の人間として尊重し合えない時、
弱い立場の人間は距離を置くほかに無くなる。
DVやモラハラや、「身近な人間関係」は
いつも「他人事」として捉えられやすい。
「なんだかんだ愛されてるよ~」
「親になれば気持ちがわかるよー」
という周りの人間の言葉よりも、
『あなた自身が嫌だと思った体験』
の方を重要視してほしい。
長くなったが、これを最初に書いておきたかった。
これは私のみならず、苦しんでいる人たちへの
正当な対処法のプレゼンでもある。
幼いころの記憶
私が物心ついたころ、
私の家族は両親が教員だったことに伴って、
県内の実家とは離れた町の平屋建ての
一軒家を借りて暮らしていた。
(当時の教員には、生涯で3回以上
転勤せねばならんというノルマがあった)
私の暮らしていた県ではよく雨が降っていて、
コンクリートから雨が上がった後の匂いを嗅ぐと、
今でも当時の感覚を思い出す。
その当時は、私は割と天真爛漫というか、
エネルギッシュに生きていた。
クモやナメクジ、ムカデやネズミが出る家で
虫と戦う毎日だった。
家族に関しては、姉と母が衝突していた、
という記憶がはっきりとある。
姉はもっと鮮明に覚えているのであろうが、
姉にブチ切れた母がご乱心となり、
テーブルの上のごちゃごちゃした本や物を
かき分けて、叩き付けるようにバサバサバサッ!!
と床に落としていたのが非常に印象的である。
(あれは多分「ちゃぶ台返し」が
できない人にとっての代替的なやつだ)
私が自分自身の嫌なイメージで覚えているのは、
歯磨きをした後に、おいしそうだなあと思って、
こっそりチョコレートを食べたら、
母にばれて玄関のところでめちゃくちゃ怒られた記憶と、
当時アトピーがひどく、お風呂上りに背中や体に
ビワの葉焼酎を塗りたくられ、
それが燃えるように痛かったこと、
姉の持っていたヘリウム風船を外に持って行って、
うっかりヒモから手を離してしまい、
風船が空に飛んで行ってしまい、
「おそらにとんでっちゃったあ~泣」
と言って姉を怒らせたこと、
何かで父を怒らせて夜に玄関の外に締め出され、
開けてくださいと玄関のドアを何回も叩いてお願いしたこと
ぐらいだろうか。
食べたかったからだよう
母とのエピソードとしては、
歯磨きをした後のチョコレート、これであるが、
当時ちびっこの私は何のために歯磨きをするのか、
という意図はそんなに理解していなかった。
ただ取り合えず歯を磨いたら食べちゃダメなんだな、
というルールだけは理解していたので、
食べたい、という欲求にあらがえず、
歯磨き後にこっそりチョコを食べようとして
ばれちまったのである。
母にばれてしまい、玄関に立たされ、
「なんで食べたの!!!」と
怒られた訳であるが、私は
「食べたかったから…」と答え、
以前、母はその時のことを思い出して話をしていた時、
「そうだよなあ、と思って拍子抜けしたのよ」
と笑えるエピソードのごとく、
私の返事についてケラケラと話していたのだが、
私は今思い返すとマジで戦慄である。
そもそも「なぜ歯磨きの後に食べたらだめなのか」
をしっかりと教えず、
「歯磨いたら食べちゃダメ!!」という
罰則方式でしつけをしていたことが
モラハラの第一歩である。
・虫歯になるというリスクを教える
・食べた後には磨くもの
本来この2点で十分なはずなのである。
「じゃあまた食べちゃったんなら、
また磨かなくちゃいけないね、
虫歯になるとおいしい物が食べられなくなるよ?」
とかそんな感じで十分なはずなのである。
なぜこんな深刻に怒られなあかんかったのか、
それは、母にとっては
「子供が自分の言いつけを守らなかった」という
パワーバランスの乱れのほうが一大事
だったからである。
これは私が覚えているエピソードの中で、
最もしょぼい物であるが、
ある意味最も母のことを
よく表しているんじゃないかと思う。
ちびっこ時代は、そういう風にして、
「なぜ怒られるのか」とか、
「大事なことは何なのか」ということを
すっとばして、私はひたすら母の顔色を
気にして、怒らせないように、怒らせないように、
無意識にふるまう癖をつけながら生きてきた。
両親は教師なのに、「なぜなのか」
ということをちっとも教えてくれなかったので、
私はめちゃくちゃ考える癖がついたのである。
テツandトシの営業のペースよりも頻繁に
「なんでだろう」と思っていた気がする。
思春期時代
親元に居る間は、私は今考えると
ほんとにしんどい思いをしていた、
よくやったわと今でも思う。
例えば家族でTVを見ていて、
母の嫌いなタレントが出ていたとき、普通は
「お母さんこのタレント嫌いだわ〜」
で終わるであろうが、 私の母は
「こんなタレントが出てる番組見るなんて、
あんた頭おかしいんじゃないの?」
と私を責めるのである。
モラハラという言葉に当てはめたのは最近のことだ。
母のモラルとかプライバシーの観念というものは
本当に気持ち悪いもので、
他にも例えば
「私や姉が外界に対して色気づくこと」
を死ぬほど警戒していた。
少しでもヒールのある靴を欲しがると、
露骨に嫌な顔をしてはねられたり、
体のラインが出るような服を
「下品」と言って嫌ったりする一方で、
家の中では
「楽なんだからこっちの方にしなさい」と言って、
わざとブラジャーを外させようとしたり、
胸が見えそうな薄いインナー1枚を勧めてきたり、
私の洗濯物を父に干させたり、
お風呂場から脱衣所の出入りのドアを
父が通る前で気にせずにガンガン開け閉めし、
あげくのはてには開けっ放しにしたりしたりと、
恥じらいを持たせたいのか、逆なのか、
本当に謎のデリカシーのなさを発揮していた。
他のちまちました嫌なこととしては、
朝、先に起きた母が、
寝ている子を起こさないように
静かに家事をする、というあれを、
母は「自分ができる母だ」とアピール
したいときにのみやる。
そして父が私を目覚めさせてしまった時、
だから○○は~、と言って父をなじる。
なのに普段のドアの開け閉めはめちゃくちゃ
乱雑かつ荒く、バーン!!と閉める癖があり、
私はそれがめちゃくちゃ嫌いだった。
キッチン回りで動いているとき、洗い物をしている
時もすごく音を立てる癖があり、
私はこれも、父の食事中の咀嚼音と同じぐらい
不快で嫌なものに感じていた。
中学を卒業して、高校を選択するとき、
私は私立の調理科に興味があり、どうかな、
と両親に話をしたことがある。
両親は「私のため」という名目で、
それはあまりお勧めできないという不快感を
前面に押し出してきた。
私は二人を押し切るほどの覚悟は持てなかった。
結局公立の普通高校に進学した。
また、これもほぼ同じ現象なのだが、
高校を卒業して大学を選択するとき、
私は音楽の学校に行きたい、
DTMをやってみたい!!
と強く思い、東京にあるその学校の
パンフレットを取り寄せて、
この学校に行きたいんだけど、と
同じように話をした。
前回と違ったのは、私は本気だったということだった。
でも、そこまでの本気の熱量でやってみたい、
と思っているということを、
誰かに打ち明けるのは初めてだった。
母は音楽の道では食べていけない、
茨の道だし、そういうのは趣味でやったら、
応援はできないと言われるどころか、
その学校や自分たちにとってのマイナスイメージを
必死で私に説き、
「この場での正解は辞めるということ」
という空気を作り出した。
料理人ならおそらくまだ身近に感じられたのであろうが、
音楽で食っている人間など狭ーーい世界の中でしか
生きてこなかった両親の周りにはいなかったし、
それよりも何よりも、
「自分のやりたいことで飯を食っていくのは悪」
というほぼひがみで構成された、笑
偏見混じりの親のエゴで
「どうせうまく行かない」
「失敗したら人生どうするの」
という親心を装った罠で私の未来の芽を
潰したくてしょうがなかったのだ。
彼女は、私が自分の傷ついた心を一生懸命
立て直しながら、顔色を伺い、
その話をやめにするまで不機嫌そうな顔を続けた。
自分の一番の味方でいてほしい人たちが、
いつも自分のことではなく、
「彼らにとって都合のいい自分」
を要求してくるのは、
かなり心にこたえる。
私はそのあと、それなら音楽に欠かせない英語は
自分にとってきっと役に立つかな、
と英語方面でレベルの高い大学を受けたが、
特別日程で2回落ち、一浪するよりかは、と思い
国公立の前期で大して興味もなかった大学に
成り行きで入った(結果的にはこれが今後の人生に
大きく影響を与えたので、悪くはなかったが)。
「普通」との差
皆さんは普通に親と喧嘩する、ということが
できるであろうか。
意見の対立が起き、その中で自分の意見を
しっかりと言えるだろうか。
その意見を親はしっかりと聞いてくれるだろうか。
うちの親は、それができない。
絶対的な正解は常に向こうが握っていて、
たとえ客観的に間違っていても、
「世の中はそんなもの」
「お前は子供だから」
「わかった口を聞くな」
という風にはねられるし、
そこまでも行かない。
なぜかって、小さい頃から私は
「自由な意見<親の意向」
という暗黙のルールを守るように
徹底的に訓練されてきたからだ。
大学に入り、毎年帰省する
新幹線と列車の中で毎回私は1人、
今までされてきた事がフラッシュバックしていた。
思いつめて吐いたり泣いたり、
これからまた親に会わなくてはいけない、
何を言われるか、どうやって返すかという
地獄のシミュレーションをして、
身体の震えを必死で抑えて、駅に着く頃には
心を完全に殺して、
「何を言われても耐えて、無事に帰る」
ことを誓っていた。
今考えるとただの鬱の症状である。ファック。
母は、私が唯一言うことを聞いてくれて、
母の「思い通りの娘」になることを望んでいる。
表向きは「やりたいことをやらせている」
という懐の深さを世間にアピールするが、
基本的には自分の気に入らないことには
全部にケチをつけるし、
「愛している」という名目で
私に多大な負荷をかける。
メンヘラのストーカーに
一生つきまとわれているようなもんである。
母、襲撃
大学でだいぶん本来の自分らしく
自由に生きはじめていたが、
ある年、私が留年する、ということと
引っ越しが重なった時期があった。
確か大学3年の冬だったか。
その頃私はもちろん生活の基盤は
クラブ店員だったので、正直大学なんて
今更だけどいつ辞めたってもういいや、
とどこかで思いながら毎日過ごしていたのだが、
ある日、いきなり両親が私の部屋にやってきた。
引っ越しをしてから、間接照明ぐらいで、
特に蛍光灯などつけずに生活していたのだが、
彼らはそれを見ると、
「ろくな暮らしをしていない!!」
と騒ぎ始め、私の家を家探し、荒らしはじめた。
普通なら誰にも見られたくないようなものを
国税局のごとく引っ張り出し、
挙げ句の果てには、
母は私の通帳を引っ張り出し、
上から1行ずつ読み上げながら、
「これは何に使ったの!?」
「これは何のお金?!」
と正座した私に問いただした。
これは結構メンタルをやられた。
人間の尊厳って意外と簡単になくなるもんである。
彼女は「お前は1人ではろくに暮らしていけない」
という考えをどうしても植え付けさせたかった
ようで、男関係についても尋問され、
そのあとは勝手に私の部屋を模様替えしはじめた。
私はどうすることもできず、
何も考えられなくなった頭で
ぼーっと部屋を眺めていた。
…そしてこれは後で知ったのだが、
母は実は私の大学と、ゼミの教授の両者に、
「うちの子は一体どうなっているんだ」
「おたくはどんな教育をしているんだ」
とクレームと尋問めいた電話をしていたらしい。
今もこれを書いていて死にたくなるが、
大学にそんなことをするなんてことは
前代未聞である。大学は義務教育とは違う。
全ては自己責任の、学びの場だ。
そのあとゼミの教授に謝りに行った時、
死にたいぐらいです、と謝ったが、
教授は人間的にもハイパーできた方で、
大丈夫ですよ、と許してくださった。
そして彼らは、
私が働いていたバイト先にも押しかけていた。
幸いなことに、私がいた店は、上の階がクラブ、
下の階が系列のレストランバーという作りを
していたので、私はレストランで働いていると
親には言い張っていた。
ギリセーフかと思ったが、店もやめさせられた。
(という建前で、店は私の味方だったので、
親から電話があったら「おりょうは辞めた」と
言ってくれるよう根回ししてガッツリ働いた)
そのあとも、私が家にいないのに
誕生日プレゼントを渡すためにわざわざ
私の自宅に来てポストにプレゼントを
押し込んで行ったりなど、
定期的に襲撃には遭ったが基本スルーした。
やっぱり人間としてクズ
紆余曲折を経て、
私が大学を卒業することが決まり、
それでもちょっとは親孝行するか、と、
街中にある美味しい小料理屋さんに両親を
連れて行ったことがある。
そこは私にとてもよくしてくれたお客さんが
懇意にしていた店で、
親を連れてきたいな、と話をしたら、
俺が半分出しとくから、
マスターにいいコースを作ってもらいな、
と言っていただいた経緯があり、
とてもありがたく感じていた。
両親2人は料理を食べ終わって、
帰りのタクシーの車内で母は
「あんたが美味しいっていうから来たけど、
魚はイマイチだったわね、
まあ料理としては悪くはないけど、
やっぱ味は〇〇の方が〜」
と料理にケチをつけ、
私にほざきやがったのである。
普通娘が初めて親を食事に連れて行ったら
それだけで嬉しいもんじゃないの…?!
と思ったと同時に、
ああ、こいつは本当に我が母ながら、
救いようのないクズなんだな、
もう諦めた、と私の中で何かが固まった。
最近は
最近はもう何年も実家には帰っていない。
おばあちゃんの墓参りをせねば、
と切羽詰まった時のみ帰っている。
社会人になってからは、
毎日母のハガキが届いたり、
重たさしか感じない
「愛情の押し付け」が続いたこともあったが、
今は半勘当状態である。
私は母のことが嫌いだが、
母がああなった原因は必ずしも
母だけにあるわけではない。
ただ、そこに同情して母のマリオネットになったら
人生を棒に振るのと同じである。
ここまで読んでくれた人は、
自分の家族の「当たり前」は
「当たり前じゃない」こと、
家族はなんだかんだわかり合っていて、
全ての家族は幸せなものだ、
と言う概念はあなたがラッキーなだけで、
それをぜひ他人には押し付けないでほしい。
そうじゃない人は、意外といるし、
そんなバックグラウンドは隠して
ヘラヘラした顔で生きていたりする。
是非それをわかってほしい。
以上である。