しんどい話
小学校に入って4年生ぐらいまでの頃、
私は自信家だった。
スポーツや勉強は難なくこなせて、
親の言うことをよく聞くいい子だった。
しかし、高学年に差し掛かる頃、
私は現在まで通じる、
あるマインドを得ることになる。
「いじめられている」
というマインドである。
私はタイプ的にいじめられっ子ではなかったが、
クラス内に超強力ないじめっ子が一人いた。
いや、いじめっこと言うよりも、
人身掌握能力が高く、
他人をコントロールする事に非常に長けている、
今でいう、
メンタリストDAIGO
と言ったほうがいいかもしれない。
(DAIGOに失礼)
彼はある面カリスマだった。
元々の能力値が高いことに加えて、
周りを巻き込む力、
人を観察する力、
ブームを作り出す力、
そういった力があった。
大人になってしまえば
そんな物はどんな業界にも存在するが、
ど田舎の小学校の中で、
当時5年生の男子がそれを発揮していた、
と言うことが大問題だった。
こちらはみんな心もちびっ子で
自我形成の真っ最中、要は丸腰なのだ。
ターゲットは
少し学習的に遅れのある1人の男子を除いて、
周期的に変わった。
(その子だけは最初から最後まで、
ターゲットだった。)
彼に近づくと、彼に探られ、
何か突けるウィークポイントが見つかったら
即ゲームが始まる、というスタンスだった。
もののけ姫のシシガミさまの
あのシーンを想像してもらいたい。
シシガミさまが歩く側から
草木が咲き乱れては途端に枯れていく、
あのシーンである。あんな感じだ。
殴られたり、水をかけられたり、
多額の金銭を奪われるようなことは、
表面上ではなかったが、
裏では窃盗や放火などの犯罪行為を行っていて、
担任や学校はもちろん、
他学校の教員たちからもマークされていた。
ただ、警察を入れて調べる、
とか決定的な証拠が出ることはなかった。
彼はそういうアウトになるラインの
ギリギリを攻めるのがすごく上手かった。
(あと、その当時は特に根強く残っていた、
学校内での事なかれ主義によってもみ消すか、
彼自身が上手く立ち回ったことで
強く出られない状態だった。
彼の親が教授?か教師だったこともあるかも。
私も両親が教員だと
そういう情報があふれるぐらいに入ってくるのだ。)
今書いててほんとに小学生かよ、笑
と思うけど、本当に小学校の話である。
そしてもれなく私も彼のターゲットにされた。
思春期の真っ只中に、
自尊心が上手く形成できなくなるのは
今考えると痛手だったなあと思う。
彼自身は魅力的だった。
どえらく性格が悪くても、
腹黒くても、いわゆる
「ワルの魅力」以上のものがあったと思う。
(ほら小学生って、
ちょっとすごいものとか、
頭一つ飛び抜けるものを
すぐ尊敬してしまうから、余計にだ。)
そして、
パワーコントロールの能力がすごかった。
彼は楽しい時間を共有することが上手かった。
少人数でつるんで話をしていると
確かにめちゃくちゃ楽しかった。
そして、昨日はあいつをいじめていたのに、
私(僕)には優しい、
自分は選ばれたんだ、
特別なんだと勘違いさせておいて、
ふと気まぐれにそいつを突き落とすのである。
そのアップダウンの激しさ、
落差で皆心をやられていた。
クラスメイトみんなが、
彼のことをある面では憧れていて、
そして同時に死ぬほど憎んでいたと思う。
今思うと複雑な感情形成である。
みんなよく耐えたな。笑
彼自身がおかしいやつで、
おかしなことをやっているだけなんだから、
こっちは別に何も恥じることは本来ないはずなのに、
私はなぜか自分が隙を見せてしまったから
なのだとか、私のせいなんだと思ってしまった。
自分の自信の裏付けを取る最中に
こうなっちまったのである。
これは私の家庭内での母に逆らえない状態での
人格形成によるものもあるだろう。
何も言われない、
されない人間の方が少数派なぐらい、
クラス内のほとんどの人間が
1度は嫌な目にあっていた。
私が本来ならごく自然に、
女性としての自尊心を育てて行くための卵は、
この時期にグシャリと小さく潰れた。
よく覚えているのは毎朝、教室に入る前だ。
中々教室に入れなかった。
胃がキュッと縮んで、
生唾を吞み込んで、
大きく深呼吸をして、
どれだけ笑われからかわれようと、
平気なフリをするぞ、
という覚悟をして
教室に足を踏み入れていた。
それは小学生の私なりの、
小さくても確かに残ったプライドだった。
でもそんな毎日はしんどかった。
残念なことに、
別の環境であるが、
同時期に行っていた学校外のクラブ活動でも、
私は一度やられたことがある。
父が昔からバドミントンをやっていた影響で、
私もクラブに入ってやり始めたのだ。
これは年下の女子の皆さんから受けたものだった。
今でもたまに目にするね。胸糞悪い。
大人はよくこれをやるが、
本人にわかるかわからないか
ギリギリのところでバカにしたり、
からかったり、コケにするという方法がある。
直接危害を加えるのではなくて、
うっすらと、
でも確実にその人の1日をつらいものにするあれだ。
私は当時、
何が何でも意地で
平気なフリをするという能力(もはやスタンド)
を存分に使っていた。
そして、普段の学校生活以外では戦いの場を離れて
どうしても気が緩んでいたのだと思う。
女子たちにつけいる隙を与えてしまった。
あ、私の事言ってるなと気づいた瞬間、
とっさにその能力を使ってしまった。
(ザ・ワールド!である。わかる人にはわかる)
クセとは本当に怖いものだ。
それから一定期間、
必死で気づかないフリをし続けた。
女の子たちは調子に乗ってやり続けた。
ある時限界が来た。
たまたま母とお風呂に入っている時に
目から何かが溢れていたらしい。
上手くごまかせなかった。
思わず言ってしまった。
(当時の私は本当に、
他に相談できる人がいなかったんだろうなあ、
と今考えると驚きの人選である)
母から話を聞いてからの父の行動は早かった。
ちなみに父は生活指導の担当に
なるようなタイプの教員である。
そこまで熱血じゃないけどね。
父は即座に
「相手に抗議し、問題を公にし、相手に謝らせる」
という戦う姿勢をとった。
ある面では正しい。
だがその時の私にとっては
とんでもなく不正解の行動だった。
色々なケースがあるが、
大抵の場合、いじめっ子が本心から
悪かったと思うことは100%ない。
「あいつのせいで怒られた」とか
「めんどくせー」とかその程度である。
というかそもそも悪気がないからいじめるのである。
そんなやつに「謝らせる」ということは、
「実は、あなたにされたことがすごく嫌でした」
と弱味を晒すことに他ならない。
形だけ謝るなんてことは簡単にできるし、
そんなもの苦にはならない。
それはこの国の多くの政治家や悪人が証明してきた事だ。
過ちを悔いる、ということは、
同じことをされて
傷ついてからでないと決してわからない。
これは私が幼心に学んだこの世の真実だ。
家の玄関先までわざわざ出向かれて、
謝られているその瞬間は、
笑われていたその瞬間よりもつらいものだった。
公の場で、私はいじめられました、
笑われる存在ですと、認めてしまった気分になった。
とてもプライドが高かったのね。
学校を巻き込むレベルの脅威を持つ
先の某カリスマいじめっ子と違って、
小さいクラブのうちうちの小さなことだったので
父も力技でなんとかしたのだろう。
謝りに来させたという形式上の
問題収束で父は満足したらしく、
それからしばらく経っても、
逆にその時のことをからかい混じりに話題に出して、
なんでもなかったことのように
私をおちょくることがあった。
今思えばその時に初めてセカンドレイプという
単語の意味をほんの少しだけ感じたように思う。
こんなことを言ったら
本当に受けた方々に怒られてしまうが、
私のその”もどき”の感覚は、
カサブタを剥がす痛みによく似ていた。
この人は私の痛みなんてちっともわからないんだ、
とはがれてまた血が出て厚くなっていく
カサブタを感じながら思っていた。
たとえ親でも、同じ幼い時期に、
同じことをされ、
傷つかないとわかることはないんだと、
身にしみてわかった。
今ではもちろん大人になって、
このエピソードをこんな風に
ネタとして面白おかしく話すことはできるが、
実は、周りから聞こえて来る”笑い声”は今でも怖い。
無条件で怖い。
私に向けられたものではなくても怖い。
被害妄想だと、
私であるはずがないと頭で一生懸命考えながら、
心では冷や汗を流している。
多分一生治ることはない。
まあ、ただトラウマとはいえないレベルだ
と皆さんは怒るかも知れない。
こんなものいじめとは呼べないレベルで、
世の中にはもっと壮絶な
体験をした人はたくさんいるからだ。
けども、傷は傷である。
そして私にはこの傷を癒してくれる人や、
寄り添ってケアをしてくれる人はいなかった。
だから自分でなんとか立ち直った。
今考えると大したことなかったわ、
と今では普通の顔ができるようになった。
心が強い人には関係ないのだが、
弱い人間にとっては傷を癒すのも一苦労なのである。
どうやって立ち直った(というかマシになった)
かはここ傷の癒し方に書くぜ。