「たとえ話」の技術とは
さて、後半である。
これからは「たとえ話」について考えてみたい。
皆さんは
「何かをうまくたとえる」というのは、
実はすごい高等技術
だとは思わないだろうか?
まず、広ーーく知識を持っていなくてはならない。
この時点で死ぬほど脱落者が出る。
知識不足な人、
特に経験のない若い人は不利である。
(そもそも知識のない人間は「たとえる」ことをしない。)
彼は毎回の会話でうまい「たとえ」をナチュラルに連発する。
「たとえ」の道筋を辿ると、
前回のクラブでのやり取りにもチラッと出て来たが、(以下参照)
以下のようになる。
トピック(相手)を理解する←ハードル高い
↓
場面に合ったたとえ話をする←ハードル超高い
↓
笑いが起きる(←この時の笑いめちゃくちゃ大事)
↓
互いの仲が良くなる←得るものがでかい
…ちょっと語らせてほしいのだが、
上記の『この時の笑い』ほど相手を素敵な気持ちにさせるものはないと思っている。
『この時の笑い』の内訳は、
50%……この人面白い(すき)
40%……この人よくわかってる(すき)
10%……すき(すき)
である。
決して本気の「好き♡」ではない。
でも、思わずフフッと笑ってしまった瞬間、そこには
「好き」のきっかけを大量生産する
「好印象」という卵たちが生まれるのである。
彼はそれを自然にも意識的にも身につけ研磨しているが、
そもそも彼は知識のベースが非常に広い。
さらに自分で得る知識に加えて、毎週末何百人とクラブに来場する、
色んなタイプの人々×人数=膨大なデータ量、
そしてそれを統計的にパターン分けして、
新たに出会う人々をより喜ばす、というすごい循環ができている。
「言葉」の大事さ
もう1つ、彼を語る上で欠かせないのが、
「言葉」のセンスについてである。
例えば、我々は初めて会う人に対してはできるだけ
誰にでもわかるような言葉を使って話をする。
いきなり専門用語やニッチな話題を登場させたりはしないだろう。
ただ、これ結構めんどくさい作業だと感じないだろうか?
親世代に漫画やアニメのたとえ話をしても伝わらないし、
現代のちびっこに「巻き戻して!」と言っても「??」な反応をされるだろう。
同じ日本語を話していても、
「誰にでもわかりやすい日本語」は
英語と日本語を交互に翻訳しているようなめんどくささを感じる。
どんな人との間にも少しはこの障壁が存在するのであるが、
彼に対しては、そういった世代間のギャップを加味して考えても、
全く翻訳する必要がない。
「一番最初に思い浮かんだ言葉」で、それが一番切れ味よく伝わるのである。
家族以外でここまでシンクロできる人間は滅多にいない。
シンプルだが、めちゃくちゃ難しくて、貴重なことなのだ。
例外もあるかも
ここでちょっと思い出したので小話をするが、
私が働いていたクラブでは、30代ミドルでAV男優のように黒く焼けた、
眉毛のないイケメンのM氏という人がいた。
M氏は先の話の彼とはある意味全く逆の凄さを誇る人であった。
彼は前回のソウルメイトの話①~おもしろさの基準の中で出て来た
②笑えるポイントを作る
③緩急、起承転結、物語性
この2つにもあまり当てはまらない謎の能力の持ち主なのである。
彼の能力は「相手を切り取る」「間を使う」というものである。
彼は相手の一部分、行動や所作をコピーし、それをただ「繰り返す」だけの、
ある意味オウムのようなことをしているだけなのである。
そこで分析するとか、理解などの深い部分にはそうそう行かない。
最初はただ、繰り返すのである。
全てを包み込む「間」を使いながら。
繰り返すタイミング、秒数の取り方、これが絶妙なのだ。
これは「芸」と認知されにくいのだが、
時間を操るスタンド使いは相手の心も操るため、みんなが
「あの人おもしろーい!!」となるのである。
切り取った部分を「間」で惹きつけながら繰り返し再生して笑いをとるスタンド使いは
今も大型連休になるとたまに黒いスーツを着てスタンドを発動させている。
オチは例外になってしまったが、
みなさんも言葉のバリアフリーになれるソウルメイトがいたらぜひ大事にしてほしい。
以上である。