見たい!聞きたい!死にタイ!
さて、なかなか一般の方はついていきづらい
タイトルということは承知で、
まずは、いきなり何を言い出すのか、
なんで出家について書くのか、
ということである。
普段私の心中については、こまごまとしたことは
Twitterのほうでつぶやいているのだが、
ここ数年、私の心の中の「生きづらさ」は
なかなか消えない。
数年にわたってまあこれほどにとあきれるほど
ご多分に漏れず、死にてえわー
マジで死にてえわと思っている。
で、死にたいとは?なぜそう思うのか?
正直本当に「死にたい」のか?
などと死ぬことについて、長い時間をかけ、
ずーっと考えていた。
その苦しさの中で、ある答えが出たのである。
それは、「死にたい」じゃなくて、
ちょっと「生きるのをやめたい」、
これが本当の気持ちだとわかったのである。
「すべてを0にしたい」という衝動や焦燥感は
誰にでもあるが、たいていの人は
「0にリセットしてからやり直したい」
というパターンが多い。
おそらくこれが普通の感覚だろう。
生きていくということは、
何もしなくても時間が経ち、
何もしなくても年を取ってしまう。
東京など都市部に生活していると特に、
「今は何も考えたくない」
「今は何もしたくない」
と思っても、そういう生き方や考え方は
周りには受け入れられづらい。
そして何より、自分がそういう自分を
受け入れられないのである。
東京という場所は
我々は普段無意識にこう思いながら生活している。
_____時間は無駄にしてはいけない。
意味のある時間を過ごす、
意味のある経験をする、
意味のある仕事をする、
意味のあるお金の使い方をする。
やりたいことをさっさと見つけ、
毎日生き生きと、意識高く生活する。
より高い位置へと自分を導くために、
自分磨きをしたり、
成長欲をがむしゃらに高める。
社会や周りの環境に自分もしっかりと
所属し、責任のある行動をする。
うかうかしてられない。
そんな時間はない。
ちょっぴりディスって書いたが、笑
東京にはこういう意識レベルの人は多い。
というか、そういうレベル以上の人がいなければ
時代を引っ張っていくことは不可能だ。
そういう集合的意識が暗にみんなの心に訴えかける、
東京にはそういうパワーがある。
そして、一方ではそういうことすら生まれてから一度も
考えたことのない、図太い神経をもった人間も
めちゃくちゃ多い。笑
「時間を無駄にしないことに
気を付けるタイプ」
と、ある意味対をなすのが、
「時間や周りを気にしないほど
何かに熱中するタイプ」
この2つが時代を牽引しているというイメージだ。
私は東京はすごく好きだし、
この流れの速さや、時代を変えていく
都市感、様々なジャンルで一番最新のものを
追えるというのは、とても楽しい。
でも、しんどい時が多々ある。
そして、しんどいと声を大にした人間は
「じゃあ地方に帰れ」
「田舎に行け」
というプレッシャーを受ける。
なので、みんな病むときは静かに病んでいく。
病むことも、この社会では進む可能性の高い
一般的にもっとパターン化していい未来の形の
1つだと私は思っている。
普通の人が普通につまづくことも想定した
”社会”や、”世間一般の認識”があったほうが
みんな生きやすいんじゃねえかなと
常々思っているのである。
流れるプール
さて、その「無言で病んでいく人たち」
についてだ。
この人たちはこっそり隠れて
病んでいくが、みんながみんな、
決して将来に悲観して死んですべて終わりにしたい、
と思っているということではない。
ただ、急速な勢いで流れる時代から
ちょっとだけ離れたいときが必ずある。
きつい仕事や人間関係、
トラブルや個人的悩み、
そういったものがなく、普通に見れば
人生エンジョイしてるじゃんと思える人でも、
「普通に生きることそのものがしんどい」
死にたいんじゃなく、生きるのを一時停止したい
というマインドが続くことはある。
ちなみにだが、そもそも死ぬということは、
いろんなアクションの中でも最も能動的な行動だ。
自殺する人というのは、
一番行動力のある人なのである。
自殺は今のつらい現状から
逃げたい、弱い人がするものだ、という風に
思われることも多いが、実際死ねた人というのは
めちゃくちゃ勇気のある人だ。
もしくは現状があまりにもつらすぎて、
死への恐怖がマヒしてしまっている人だ。
それか病気か。そうでないとなかなか
自分を殺すという行動には出られない。
そこからである。
今これを読んでいるあなたは、
たとえばの話だが、流れるプールのように
水流ができているプールがここにあったとして、
その中を何時間も1度も止まらずに
喜んで泳ぎ続けることはできるだろうか?
実際にはちょっと疲れたから
隣にある50mプールにいこうかな、
でもまた後であの楽しい流れるプールに
行きたいな、
そういう風に使い分けるのではないか?
もし、一度流れるプールから出てしまったら、
もう強制的に帰らされる、
もしくはプール横のベンチに拘束される、
そういう雰囲気があったら、
みんな疲れてしんどいのを相当我慢して、
もうだめだ、ここまで耐えたから帰ろう、
と思うラインまで流れるプールに
しがみついて流れに飲まれ続けるだろう。
想像すると謎の地獄絵図である。
何の苦行なのか。
でも、生きていくことはそういうイメージに近い。
流れるプールにちょっと疲れた時、
50mプールの他にも、深ーいプールやちびっこ用の
プール、いろいろあったら、
それぞれのペースや体力、楽しみ方に合わせた
選択肢ができるのになあ、
でも、現実世界の
”他の選択肢”は誰も教えてくれないし、
社会的にそういう生き方はちっとも一般化
していないなあ、というのが
今回の私の悩みの種なのである。
絶対的選択肢、出家
さて、ようやく本題であるが、
死なずして生きることをやめる、
これにオプションの「戻る選択肢」を
つけるかどうかもある程度選べる素敵な選TAXI、
それが「出家」なのである。
ただ正直、今の社会じゃ前時代の産物と
なっている。
皆さんの周りに職業がお坊さんという人以外で
出家した人はなかなかいないだろう。
ただ、出家って何?
なんか聞いたことはあるけどとりあえず仏門に
入るんだよね?
みんな瀬戸内寂聴みたいになるってこと?
とお主も思ったであろう。
私も具体的にどうやったら出家できるのか、
ちょっと調べてみた。
そしたら、まさかの「いい葬儀」というサイトが
トップヒットし、しかもわかりやすく
まとめてくれていたので、ちょっとはっつけてみるわよ。
____仏教における出家の「家」とは、煩悩を意味します。
「五欲」と「五根」と「五境」と「出家」の関係
仏教では人には5つの欲があるといい、
これを「五欲」と言います。
人には5つの感覚器官、目、耳、鼻、舌、身があります。
これを「五根(ごこん)」と言います。
そして、それぞれの感覚器官で感じる5つの感覚、
色、声、香、味、触を「五境(ごきょう)」と言います。
さらに、この「五境」に対する執着や、
それによって生じる5つの欲望が「五欲」となります。
例えば、食べ物を食べたい、
美味しいものを口にしたいという食欲、
できるだけたくさんのお金を手に入れたい
と考える財欲などが挙げられます。
また、性的な欲求を満たしたいという色欲、
いろいろな人から賞賛されたいと思う名誉欲、
眠りにつきたい睡眠欲なども五欲になります。
そして「家」はそうした欲の象徴でもあるのです。
つまり、出家とは人が持つ欲を断ち切り、
仏の弟子になるという意味です。
現代での出家
現代では、スポーツ選手や芸能人、
著名人などがある日突然出家して、
世間を驚かせることもあります。
また、一度仏教の世界に入ったものの、
再び俗世間に戻ってくるといったこともあります。
最近では定年を迎えた方が、
第二の人生として出家をしたり、
お寺に入りたいという方もいるようです。
出家の方法はさまざまです。
例えば、信頼できるお坊さんに師匠になってもらい、
基本的なことを学んだ上で、
その宗門の修行ができるお寺に推薦してもらって
修行を積むということがあります。
また、お寺が仏教に入門するための
コースを設けていたり、出家者を募集している
こともありますし、僧侶を目指せる学校もあります。
仏教学科、密教学科などがある仏教系の大学もあります。
なお、宗派やお寺によって出家の方法は違いがあるため、
実際に出家を希望される場合には事前の確認が必要となります。
出家と周囲への影響
出家をするには、俗世間に別れを告げる必要があります。
剃髪と言って、髪の毛を剃って坊主にし、
戒律を受けます。戒律とは、仏教徒が守るべき
決まりごと、規律であり、見習いの僧侶や
小僧の場合だと十戒、正式な僧侶だと
二百五十戒を守らなくてはなりません。
出家は、これまでの生活をすべて捨てることになるため、
当然周囲に影響を及ぼす可能性があります。
例えば、交際している恋人や
婚姻関係にある人がいるのなら、
別れを告げてから出家することになります。
また、会社の代表が突然出家してしまうと、
組織が立ち行かなくなる可能性もあります。
重要な決断ができる人がいなくなり、
会社自体の存続が危ぶまれる可能性も
考えられるでしょう。何の手も打たずに
突然出家するようなことがあれば、
従業員にも給料が支払われず、
取引先や顧客にも迷惑をかける可能性があります。
まとめ
出家するということは、これまで自分が生きてきた
世界を捨てるということです。
もし、今現在出家を考えているのなら、
それを十分に理解した上で検討してみる必要があります。
周囲へ及ぼす影響も考慮して、理解を得る必要がありますが、
もしかしたら、それが世俗に囚われている
ということなのかもしれませんね。
いい葬儀
https://www.e-sogi.com/guide/27424/
ガチだった
どうだろう、想像していたよりも
ドチャクソきびいじゃんかーと思っただろう?
まず5欲(食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲)
のうち財欲、色欲、名誉欲は何とか我慢できるだろうが、
食欲と睡眠欲に関しては無理だわ、
っていうかそれ我慢し続けたら死ぬじゃん?
と思った人が大半であろう。
まあ実際に職業でお坊さんをやっている人たちは
意外と緩かったりするし、
キャバクラや風俗に行ったり、
檀家さんを増やして金儲けするぞと
たくらんでいたりするし、
美味しいものいっぱい食べる!と言って
完全に腹が出っぱなしだったりする。
我々の周りにいるお坊さんたちは、
俗世に生きる我々と仏をうまくくっつけるための
パイプ役みたいなことも行っている。
寂聴さんみたいな人も世の中にいるし、
俗世にカムバックする人たちもいる。
ただ、お前らの読むお経で本当にうちのばあちゃん
成仏するんかよ…とホステスをやっていた頃は
よく不信感を抱いたものである。
まあ上にあげたものはかなり真剣に仏門に
入った場合の出家パターンで、
その昔、即身仏になる修行をしていたお坊さんたち
のような高いレベルで仏に近づくということが
目標のものであろう。
本当に一切の俗世を捨てるということは、
より仏に近づくということになるのかもしれん。
最後の切り札
おそらく、心の底から出家したい…
まじで仏に近づきたい…仏Love…
と思って出家する人はかなり希少で、
実際に出家する人のパターンは、
俗世に疲れたり、
この世の中で生きていくことが
嫌になった人、
あるいは高尚な徳を積みたいと思う人
が多いのではないだろうか。
私が言いたいのは、
みんながよく使う「死にたい」の意訳は
「疲れたーハワイの海でプカプカしたーい」
ぐらいであろうが、
実際プカプカしてもちゃんと癒されたり、
また仕事頑張ろうという風に思えない、
そんな人たちがこの世の中で
何とか死ぬことなく生きていくために、
出家を最後の切り札として使えないか?
ということなのである。
私はここ数年自分の誕生日には
般若心経を聞いていたのだが、
(ちなみに実家は仏説阿弥陀経なので
私が死んだらちょっと違う…って
思いながら成仏予定)
これは、できれば生きるのをやめたいと
思う自分を前年までの自分ごと成仏させよう
という試みであった。
でも、結局ちっとも生きづらさは消えず、
過去のトラウマや色々なことに対する怒り、
今の自分に対する不満足感は消えない。
本当はもっとこうだったらよかったのに、
そういうバチバチ俗世ど真ん中の欲望に
向き合わざるを得ないのだ。
そして悲しいことに次々と
そういう感情が生まれてくるのである。
ただ、そんな風に苦しんでいた数年前から、
1つだけ変わったポイントがある。
それはアウトプットする手段ができたことである。
このブログがまさにそれだ。
自分ひとりでぐるぐる考えている中で、
そのぐるぐるを一定量以上の文に変えて
可視化することで、かなり救いができたように思う。
この”死にたい願望”もまさにそうで、
ぐるぐるを解剖してみたら
出家という選択肢が見つかって、
そしてそれを皆さんにお届けできるようになった。
人は成長するもんである。笑
一緒に自殺してくれる人募集みたいな掲示板が
問題になることがあるが、
この中に「一緒に出家してくれる人募集!!」
の掲示板があってそれがポピュラーになれば、
最悪出家するわ、という死を免れる選択肢ができる。
今しんどい人たち、あなたの思うように、
救いはない。自分の足で痛みを覚悟で動くしかない。
でも、最悪の最悪、死ななくても出家という
生き方がある。
多分、その保険的な切り札が
動きやすさにつながる。
ぜひ今辛い人は、選択肢の中に
「出家」を入れてみてはどうだろうか?
終わり!!