大学って行くべきなの?

永遠のテーマ

さて、今回は珍しくこんなテーマについて

書いてみようかと思う。

日本人として生まれた人間の大多数は、

恐らく大学に行くか行かないか、

というのは共通する大きなテーマであると

考えられる。

人生の中で、「大学に行くかどうか」

という選択に迷った人は

意外と少ないかもしれない。

むしろ、「どの大学に行くべきか」という

選択のほうが、迷った人口は多いはずだ。

今これを読んでいる皆さんは恐らくは

もう選択し終わった人たちかもしれないが、

学生だった当時の自分に向けても、

この永遠のテーマ、

「大学っていくべきなのか」

「どの大学に行くべきなのか」

について書いてみようかと思うぞよ。

「やりたいこと」

なんて見つからねえ

さて、いきなり本質を書いちまったわ。笑

要は、多くの人が迷う原因は、

「やりたいことが見つからない」

から進路も選べない、

というこの原因、ただ一択から端を発している。

ちょっとだけミもフタもない真実を

書くと、ここでどんな選択肢を選ぼうと、

この「やりたいこと」問題

は皆さんの人生に一生付きまとう。

良くも悪くも、である。

(後悔があるかないかの差はあるが。)

不安が付きまとわない人生を送れるのは

超激レアだ。そしてそれが果たして幸せかどうか、

疑問に思うこともある。

「やりたいこと」を実際にやっている人は

迷わないし困らないんだろうな、

と皆さんはそう思いがちだろうが、

そんなことは全くない。

___皆さんは、

カニエウェストという人間を知っているだろうか。

まあ皆大体知っているだろうが、

彼はラッパーとして世界で最も成功した

人物の一人であり、時代の風雲児である。

彼には天才と評される音楽的才能がある。

私は彼の音楽の大ファンではない。

好きな曲はあるが、決して

彼の音楽すべてが大好きなわけではない。

だがアルバムを聴くと、

こいつ天才だわ、と毎回思う。

彼は今まで基本的に、

やりたいことだけやる姿勢を貫いてきた。

近年ではもはや、やりたいことを

やり尽くしてしまってどうしよう…となり、

あえて「やりたくないこと」、

「好きではないもの」を

選び取っている、ということが

最近プチ話題になった。

新しいアルバムのアートワークなども、

彼は全く好きじゃない「青」を使っていたりする。

天才には天才の苦悩がある。

余りに「実現力」が高い人間は、

幾千もの夢を持っていたとしても、

次から次へと叶えてしまう。

そしてどんどん新しいこと、

また新しいことを追い求め、

その結果、大統領選に立候補という、

一般人からしたら

とてつもなくトンチキなことを

やりだしたりするのである。

例が長くなったが、笑

彼のことをかっけえなーと尊敬したり、

すごいなあと思う人間は億ほども

いるだろうが、羨ましいと思う人間は

どうだろうか、あまりいない気がするのは

私だけだろうか?笑

夢のような人生だというよりかは、

面白い人生を歩んでるなー、とか

すごいなーという感想のほうが先に立つ。

そう、ここでの問題は、

「やりたいこと」というものに対する

高っけえハードルにある。

「やってみたいこと」

そう、「やりたいこと」だと

ハードルが高すぎるのである。

だからみんなそう簡単に選べないのだ。

でも「やってみたいこと」なら意外と

いっぱい出てくるはずだ。

「やってみたいこと」なんて

「今夜食べたいメニュー」ぐらいの

気軽さで考えることができるからである。

恐らくだが、今夜食べたいメニューの

ノリで誰もが「やりたいこと」を

できるようになれば、

恐らく日本はもっと失敗に寛容で、

セーフティネットの制度が増え、

挑戦しないことや冒険を嫌う社会に

なっていくだろう。良い部分は。

でも、みんな怖くてそんなことできない。

日本人の大多数は安定や、確実性を求める。

まあこれは前時代の終身雇用神話のせいもある。

だから挑戦する人間に対する風当たりは

諸外国より強い。

その代わり成功すればちやほやして

これでもかと持ち上げる。

「成功しないと意味がない」

「確実でないと踏み出せない」

「失敗には意味がない」

深層心理の中で、

みんなそういう風に思っている。

だから、進路選択でも、

「失敗しないように」

「自分のできることで」

「安パイを選ぼう」

その深層心理がみんなの心に

強く影響してくるのである。

消去法の末路

そしてそんな日本で、人生において、

皆さんが実は中高の時にかなり

未来の範囲を選択させられている

1大イベントがある。

それは『文理選択』だ。

誰もが大学選びや就活こそが人生の

岐路だと思いがちだが、

それは全くの間違いである。

 

もっと前に、もっと重要なことを

選ばされているのだ。

それが文理選択なのである。

私は決して理系の人間のほうが

優れているとは思わないが、

理系の選択をしておいてから、

後で文系の仕事を選ぶことはできても、

その逆は難しいのは事実だ。

ずーっと調理師を目指していて、

実際調理師になった人間が、

よし!と一念発起して

医者や弁護士になれる可能性は0に近い。

0ではないのだが、絶対数が圧倒的に少ない。

みんながもっと挑戦すれば

確率はもっと上がるだろうが、

実際に挑戦する人自体が稀だ。

かなり現実的には厳しい。

だが、その逆を考えてみると、

割と可能だと思わないだろうか?

医者や弁護士をやめてパン屋さんを営むのは

普通に実現可能だし、イメージもできる。

そしてパン屋から総理大臣になるよりも、

医者や弁護士から総理大臣になる方が

はるかに可能性が高い。

(ちなみに総理大臣になるための最短ルートの

 話を前回したのでぜひご覧あれ☟

どうすれば総理大臣になれるのか本気出して考えてみた

文理選択のルートを変える、

というレアキャラがたまにいるが、

これは今の仕組みの中で彼らを縛ってしまった

結果の残念さの現れだと思っている。

本来彼らのような人間は

非常に貴重な人材で、

もっと有り難がられるべきなのである。

本来、全部できて損することはない。

そして全部捨てては割と困るものが多い。

英語、数学、地理、情報など、

正直大人になってもバリバリ使う教科は

普通にある。

でも、選択肢は基本的には2つしかないのである。

皆失敗したくない、と考える。

今得意な方を選ぼうとする。

そして選んだ方からは逃げられない、

と感じ、選ばなかった方は別にできなくても、

と舐め腐る。

その結果が私である。笑

まあ私だけじゃないにしても、

今考えても

「理系は苦手だし、

文系だからできなくてもしょうがない」

という甘え全開の影響はしばしばある。笑

文理選択をしている瞬間に将来の

半分が決まるともいえるのに、

正直将来のことを考えて逆算して

こちら、と選択できている学生は

医者志望の子たちぐらいなのではなかろうか。

高学歴の人間に

共通する「強み」

ただ、正直言ってしまえば、本来は

将来やることが決定していて、

そこから逆算して進路を選択していくことが

一番シンプルだし、身になる形ではあるのだ。

とりあえず学歴積んどくか、と言って

いい大学に入ったところで、

中身がついて行かない人もいる。

つまり、東大・京大を出ていても

人間性がクズな奴は星の数ほどいるし、

早稲田慶應で世の中舐め腐って逮捕される

犯罪者もいるということだ。笑

だけど、だけどである。

姉の周りの人たちや、

社会に出て高学歴な人たちと接すると、

文系は特に、「デキる人」たちが多い。

そしてそれは学歴に比例する法則があるな、

と感じるのも事実である。

(参照※姉の話

何かというと、高学歴な人間は

「求められていることに対する返答レベルが高い」

ということである。

クリエイティブ・独創性の部分に関しては

人それぞれだが、

「難関大を受験し合格し、卒業試験にも受かった」

ということは、要は

「今求められているものが何か正確に把握でき、

 正しい答えをすぐに出せる」

ということだ。

さらに、自分の収入に直結するわけでもない

謎の知識をひたすら詰め込んだり、

点を取るためのゲーム感覚で数式を覚えられる、

M的才能もある、ということだ。

さすがにNO勉で大学に受かる猛者はいない。

サラリーマン、会社に属して働く人間において、

これ以上の大事なスキルはない。

この社会ではいまだに男性は強いし、

終身雇用・年功序列時代の負の遺産とも

呼ぶべきジジイたちは居残っている。

権力や派閥、しがらみの中で人は生きている。

でも、そういう

「決められたルール」

「狭められた環境」の中で、

パフォーマンスを発揮することに関して、

高学歴の人間ほど強いものはない。

何でかって、前に一回

すごい辛いやつをやり遂げているからだ。

そして、勉強をただの勉強だと侮るなかれ。

「知識を持っている」ことと、

「受験を突破した」のは

似て非なるものだ。

いろんな種類の電車を知っている鉄オタが、

じゃあいざ電車を運転できますか、

と言われた時に全く話が違うのと同じである。

高学歴の人間で、

ただやみくもに問題を解いていく奴はいない。

得意な問題には時間をかけず、

苦手なものを丁寧に解く。

100点を取るのではなく、合格を目的にするから、

勝つことに対して勘が鋭くなる。

そして、そういう人間は、

社会に出たときに、

同じく「ゲーム性」を鋭く嗅ぎ取り、

ゲームに勝っていく傾向にある。

(研究職や、医学薬学だと話は別だ)

安パイで何が悪い

で、である。

批判ばっかりだけど、じゃあやっぱり

高学歴のがいいんじゃん、

今高校生の私はもう手遅れなの?

今中学生の私は理系苦手なのに、

わざと理系を選べっていうの?

となるであろう。

そうではない。

別に何を選んでもいいのだ。

だけど、今選んだ文系という選択肢の延長線上では

医者という職業の可能性は低くなるし、

理系を選択するなら、

後で弁護士になりたいと思っても

死ぬほど時間がかかるのを覚悟せよ、

ということである。

自分的に安パイだな、と思うのは別に

いいのである。

でも、安パイを選んだことに納得しないまま、

全力を出さず、モチベーションも上がらず

ダラダラ勉強していると、

気づくともう大学受験になっているのだ。

「自分が入れる大学」

「自分が入りたい大学」

を無理やり設定しないといけない。

正直、私の場合は、

「自分ができる科目、好きな科目」で

「将来的に身になって仕事にも生かせそう」

なサポート体制が一番整っている大学を受けた。

結果特別日程で2回受け、2回落ち、

3度目の正直でもう一回受けるか、

国公立の前期で受かりそうな他の大学を

受けるか、選択を迫られた。

この時の選択の基準はもはや

「受かりそうだったらどこでもいいや」

というところまで落ちていた。

結果、ここでも私は安パイを選び、

全然知らない土地、全然知らない大学に

「とりあえず」入った。

めちゃくちゃ幸運なことに、

バイト先やゼミでいい出会いに恵まれ、

親の呪縛から逃れたかった自分としては

おつりがくるぐらい素敵な経験を

たくさんした。

でも、それは自分のプライベートな部分である。

オフィシャルな部分で、

自分が大学で学んだことが仕事に関係しているか、

というと全然そんなことはない。

もっと専門職や手に職つけたほうが、

今のコロナの時代でも強く生き抜けたのかも、

と思うこともある。

そして、30手前のこの年齢になって、

初めて、やりたいことをやってみようかな…

とドキドキしているのである。笑

「これをやってみよう」と覚悟を決めて、

やりだすまでの

「迷う期間」は、無駄ではないが、

あまりたくさん使えるものではない。

踏み出すより、現状維持で…という選択も

アリっちゃアリだ。自分で納得しているのなら。

でも、現状維持しながら一生迷っているとしたら、

その時間は世界一無駄だし、生きてる意味あるの?

と私は思う。(姉も思うらしい。笑)

最後に

さて、長ったらしく書いてきたが、

じゃあどうすんの、ということである。

答えは、自分の中にある。

大学を出ていない、

いわゆる高学歴でない経営者は強い、

という一説がある。

彼らはなぜ強いか。

学歴や知識や戦略で勝てるわけではない。

強いのは、気持ちがあるからだ。そして

気持ちが続くからだと聞いたことがある。

これは意外と侮れない説だったりする。

ゲーム性や勝ち負けの中で生きていると、

「負ける前に引く」というのは

当たり前の戦法になる。

みんな負け=この世の終わりだと思っている節がある。

ただ、一度倒産しても再び会社をおこして

成功させるガッツがある人間もいる。

我々が普段「負け」

だと思っているものが、

次のステップのための大事な一手だったと

後でわかることもある。

結論、迷っててもいい。

そして、間違えてもいい。

安パイに納得できないまま永遠にさまよい続けるより

よっぽどいい。

「大学に行かない不安」が「大学に行く安心」を

上回るなら、行くべきだろう。

その状態で行かないなら後悔するからだ。

「行っておけば違ったかも」とも思うだろう。

そして、どの大学を選んでどの大学に入っても、

自分の中で「やりたいこと」が定まって、

覚悟を決めない限りは、一生迷い続ける。

そういう意味ではどれも一緒である。

あなたは、これから何をする?

終わり!!

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