姉の話

皆様ご承知のとおり、

私には7つ上に双子の姉がいるのであるが、

今回は双子の姉、そのうちの一人について

書いていこうと思う。

双子の姉の次女は、名前をせいらという。

私が普通の名前であるのに対して、

せいらと双子のもう一人は、

キラキラネームが一般的な現代でも、

かなり変わった名前である。

実は、私と姉は、父親が異なる。

以前もチラッと書いたが、

※参照※ 母の話 

姉二人の父親は、母が姉たちを産んですぐに

ガンで亡くなってしまった。

姉二人は物心がつくまでの数年間は、

ほぼ100%祖母に育てられたため、

二人にとっての「親」という存在は

精神的には今でも母ではなく、

おばあちゃんである

(帰省して双子たちが帰るのは

今でも「おばあちゃん家」である)。

ところで、双子の兄弟姉妹を持つとどんな感じなの?

と、自己紹介をするとよく聞かれる。

二人は2卵性なので、

遺伝子までが全く同じではないのだが、

他人にはどちらがどちら、と見分けるのは

少し時間を要するレベルで似ている。

ちなみに声はほぼ100%同じだ。

身内でもよく間違える。

寝返りを打つタイミングや、

返事の仕方、話すスピード、

タイムリーに考えることなどはほぼ同じ。

ただ、ここが不思議なところなのだが、

姉二人の性格やタイプは全く違う。

長女はおおらか、かつしたたかで、

マルチにどんなこともこなすハイパー器用タイプ、

(HUNTER×HUNTERだとクラピカとか、

ヒソカみたいな賢くて何考えてるかわからんキャラ)

次女(せいら)はとにかく頑固で、

多方面に器用ではないが、

これと決めたら何が何でもやりとおす、

一本気な性格をしている

(同じくHUNTER×HUNTERだと、

ゴンのまっすぐさと、ネテロ会長の

「感謝の正拳突き1万回」が

うまくMIXされた感じである)。

せいらの話

さて、せいらについてであるが、

私が我が姉ながら、

マジですげえぜねーちゃん、尊敬するわ!

と思ったエピソードをいくつか紹介していこうと思う。

高校生時代であるが、

双子二人は、後に私も通うことになる、

地元の公立高校に通っていた。

二人とも地頭はかなりよかったし、

プラスかなり勉強していたので、

都市部のハイレベルな大学を目指そうとしていた。

彼女らは二人とも、京都大学を第一志望にした。

そして最初の大きなセンター模試、

長女はA判定、

せいらはD判定という結果が出た。

双子は何かと比較されて育つが、

周囲の反応を想像してもらいたい。

そして本人たちの心境を想像してもらいたい。

学生時代という割とメンタルが豆腐に近い時期に、

この結果を突き付けられて、

普通の人間であればなかなかのボロボロ具合になる

であろうことは容易に想像がつくだろう。

もし私だったらメンタルなど粉々に砕け散って、

宇宙の塵と成り果てている。

ところが、せいらはまったく折れなかった。

少しもめげなかった。

いや、もしかすると本人の心の中では

バッキバキに折れていたかもしれないが、

傍から見ていると、一向にめげずに

よりガシガシと勉強していたように見えた。

紆余曲折を経て、結局せいらは双子の姉とともに、

二人で京大に一発合格した。

合格発表は、当時自宅に書面が

届けられる形だったのだが、封筒が届くとすぐに、

二人は連れ立って近くの公園に歩いて行って、

しばらくしてから、ちんどん屋さんか?というぐらい

にぎやかに泣き叫びながら自宅に帰ってきた。

シンプルに、すげえ…受かった…しかも二人とも

と私は当時思ったのをよく覚えている。

その後、京都での大学生活は

二人ともかなり楽しんでいて、

私も何度かバスで京都に遊びに行ったりした。

就活ではかなり苦しんだようだが、

二人ともちゃんと就職し、大変ながらも頑張っていた。

せいら社長時代

せいらは大学時代から

家庭教師のバイトに力を入れていて、

就職先も塾を選び、根詰めて頑張っていたが、

あるとき、起業する!と一念発起し、

実家に話をしに帰ってきたことがある。

うちの両親は言わずもがな、ずっと教員をしていて、

「民間」というものにしっかり触れたことがない。

祖父もまた、県庁の人間でザ・公務員だったので、

これまた一般的な「民間」とは縁遠い。

(ちなみに父方の祖父も教員であった)

そういう人間たちに、

いきなり起業する!!

と高らかと宣言しても、

いい親ならばよし、とりあえずがんばれ!

と背中を押してくれるのだろうが、

「新しいもの」や「マイノリティ」、「未知」

に対する情報不足と偏見、

まず否定から入る姿勢でガードを固めている

うちの親、祖父ともにはそうはいかないのである。

彼らにとっての「世の中」は、

一般からすると極狭な世界である。

さらに、価値観の偏りMAXなのに自信満々という

最悪のコンボなのである。

まあ悪口はほどほどにしておこう、

言わずもがな、せいらは大反対された。

祖母や母に至っては、占い師のところに行って、

「お嬢さんと共同でやろうとしている男性がいる」

という趣旨のことを言われ、

「そいつに騙されてるに違いない!!」

と決めつけてせいらを問いただしたりなど、

中々の狂いっぷりであった。

正直、私もその時はまだ親元に居て、

洗脳されていたので、

(せーちゃんが無謀なことを言ってるらしい、

失敗しちゃう前に止めさせないといけないんだなあ、)

という、今考えると世も末であるが、

なかなかひどい受け取り方をしていた。

結局せいらは、

「周囲の反対」、というよりもむしろ、

「絶対失敗する!という親族の偏見」

を押し切って会社を立ち上げた。

ひとりで苦しい時期を乗り越えて、

少しずつ業績を上げていった。

そして、私が気が付くころには、

従業員を何人も抱える会社に立派に成長していた。

普段人の弱点を突っつきたくて仕方がない母と、

心配と偏見で死ぬほどやかましかった祖父が、

せいらに対して今までほど、責め立てなくなったのは

おそらくこの頃からだっただろうか。

まさかの

そして、同時期ぐらいだと記憶しているが、

せいらは劇団四季のミュージカルにはまり始めた。

私を連れて、東京から名古屋までわざわざ

公演を見に行くほどであった。

いつしかせいらは、

あれ、と気づくと歌のレッスンに通い始めていて、

あれよあれよという間に会社をM&Aで売却し、

ダンスのレッスンにも通い始めていた。

そしてなんと、気づいたら、せいらは、

ミュージカル俳優を目指していたのである。

そこいくー?!普通?!と一瞬思ったであろう。

せいらはいつも予想の斜め上をいくのである。

しかし、30代半ばの年齢で、ここからやったる!!

と腹くくってやり始められるバイタリティは、

ここまで読んでくれた人ならわかるだろうが、

彼女の最大の強みというか、

もはやアイデンティティである。

すげえ人生の歩み方だなあ、まじでポンチキだぜ、

実際本人に会ったらぶっ飛んでんのかなあ、

と話を聞くだけだと思うであろうが、

いざ実際に話してみると、

これは身内自慢ではないのだが、

おそらく皆さんのほとんどが、

あれ、自分より頭いいわ…と思うはずだ。

彼女は頭のねじが外れた天才タイプではない。

逆にハイパー論理的思考をする人間だ。

ただ、そこにかかるベクトルや方向性が、

皆さんにとっての

「普通」を超えているだけなのである。

さて、ここで水を差すようだが、

「やる気」とか「バイタリティ」と、

「才能」や「センス」というものは、

相反するものである、

ということをちょっと言っておきたい。

せいらは、歌に関しては上手い方なのであるが、

ダンスのセンスはマジで絶望的にない。

いや、正確にはなかった、

といったほうがいいだろうか。

せいらのダンスは、初期のころは、

マジで動画を載せたいぐらいなのだが、

見ていて爆笑することを我慢できないぐらい

おもしろい動きをしていた。

アメトークの「運動神経ない芸人」

を見たことがある人ならニュアンスは伝わるだろうか。

あんな感じである。

ちなみにやっている本人はいたって真剣である。

私は大学時代ジャズダンス部に入っていて、

曲がりなりにもジャズやバーレッスンの基礎を

かじった身ではあるが、わざわざ場所を借りて、

それがたとえわが姉に対してだとしても、

人に教えるような器ではない。

ところがせいらは、ミュージカルの学園に入り、

このナンバーがうまく踊れない!おりょう教えて!

とプロでもなんでもない私に、

なんと頭を下げて頼み込んできたのである。

最初はすげえ戸惑ったが、

せいらの勢いは、かの日大のタックルなんて比じゃない

ぐらいのすごさなのである。

もはや猪レベルだ。ねずみ年なのに。

本気の人間に対して人は、

なかなか適当には接することができないものだ。

私はできることはするわ、せーちゃん、とOKし、

その後せいらは新宿のダンススタジオを定期的に予約し、

私に体の使い方と見せ方、動かし方を教わり、

付け焼刃でも少しずつ上達していった。

もちろん小さいころからやっているダンサーガチ勢とは

比較にならないが、元々得意なことではないのに、

熱意だけでここまでやっている、というのは

見ている周囲をすげえな…と思わせる何かがある、

というのは確かである。

せいらの脳内構造

私も昔から見てきたが、

いったいせいらの頭はどうなっているんだろう?

と思うことは今でも多々ある。

一度、せいらに聞いてみたことがある。

「自分はこれ向いてないな」と思う基準はどっち?

という質問である。それは

 “周りと比べてできてないから”なのか、

“一向に成長しないから”なのか。

私は前者、せいらは後者だった。

集団的に見た「客観性」と、

自己のみを時系列に比較する、

という視点の「客観性」の差である。

せいらは気持ちいいぐらいに、

「周囲の目」を気にしない人間である。

もちろん集団の中での自分のポジションは

理解しているのだが、その現状の中で、

普通の人と比べて諦めたり悲観的になる

ハードルの高さがけた違いなのである。

私もいろんな会社の新進気鋭の経営者や

クリエイターなどに会ってきているので、

ある程度広めに人間のタイプの

パターンを見てきて、体感の統計があるのだが、

こういうせいらのようなタイプの人間は、

「新しいもの」の先端にいることが多い。

そしてきちんと自己肯定ができている。

根拠のない自信がある。

さらに、意志を持って

任務を遂行するセンスが死ぬほどある。

ある意味ロマンはない。

「どうやって実行していくか」を

超現実的に考えているだからだ。

これは、このタイプがいいとかダメとかではなくて、

もはや「ライオンは肉を食べます」とか

「魚はエラで呼吸しています」

とかいうレベルの話なので、

憧れても、もはやマネした時点で

失敗に成り下がるタイプ分けなのである。

ダンスに関してはこの圧倒的なセンスのなさと、

逆に目標達成まで任務をやり遂げる圧倒的なセンス、

一体センスの闘いはどちらが勝つのか?

傍から見ているとなかなかいい勝負である。

最後に

大学受験の時も、

会社を起こす時も、

ミュージカルを始める時も、

彼女は絶対的有言実行を守ってきた。

せいらによると、

人が死ぬというのは、

今日の延長の明日をただ生き、

明日に対して何の希望も持たずに、

受け身で生きることを言うらしい。

隠居気味の祖父の尻を叩いて、

祖母が死んだら1人でどうする!

最近ただ衰えているだけじゃないか!!

と料理教室に行かせるスパルタぶりである。脱帽。

ちなみに直近では、彼女の夢(実現リスト)は

田舎に庭付きの家を買って、

馬を飼い、馬糞で作物を育てる

(彼女の最終目標の1つは自給自足)、

というもので、

スーパーにも馬で行くし、

いい空気と良い作物の中でレッスンをすれば、

歌も上手くなるし、体も良くなる

というこれまたぶっ飛んだ考えを実行に

移さんと、鳥取まで家を下見に行ったり、

私と乗馬体験や、乗馬しながら山下り体験をし、

馬の価格から、飼った時のコストなどを

着々と調べ始めている。再脱帽。

そんな姉が次は何をやるのか、

正直楽しみにしてしまっている自分がいる。

これを読んだ皆さんも間接的に

楽しみに見守っていただけたら幸いである。

終わり!

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